別に君のことなんか

僕は何とも思っていないよ




嫌いになれない貴方  第六話 



次第にコートの中でも睦まじそうに顔を寄せて笑い合う手塚とリョーマの姿が見られるようになった。


いつのまに仲良くなったのかと首をかしげる者も多く、けれどリョーマの年相応の可愛らしい表情が見られるようになったことに喜びを感じている者も多いのも事実で。今までリョーマが周囲に見せる顔と言えば、相手を挑発するような、到底入学したての中学一年生がするものとは言いがたいものだっただけに其れは尚更だった。
しかし、不二はそんな仲睦まじい二人の姿を見ると、自分の中に暗い感情が芽生えることに気づいていた。元来到底明るいとは言えなかった背景を、更に黒く染めようと落とされたような一滴の禍々しい感情。


――いったいこの気持ちは何だっていうんだ。


けれど、まだそんな自分の感情に名前はつけられずにいた。初めて感じる其れに戸惑いも覚えていた所為か。


今日も隣同士に並んで立っている身長差のある、どこか雰囲気の似通った2人を、不二は遠くから眺める。
ふいに手塚が横に並ぶリョーマに目線を落として何か言葉を紡いだ。
それを聞いたリョーマがほんのりと口元に笑みを浮かべて可愛らしく言葉を返すのが見えた。
その微笑みはどこか甘えているような、自分には見せたことのないような綺麗なもので。
知らず目を細める。彼のあんな表情は初めて見た。
何処か精巧に造られた人形のように、リョーマは滅多に感情を表に出そうとしない。
珍しく表情を動かしたとしても、其れは挑戦的な笑みだったり不敵に煌めいた眼差しを見せるだけだった。



彼が年相応の顔をしているのを初めて見たのは、あの時。
彼がふいに想いを告げてきたあの時だけ。



さわさわと揺れる若葉の中で佇んでいた彼が、思いつめたような顔で、好きですと呟いたとき酷く驚いたのを覚えている。それは二重の驚き。

まさか目の前のこの小さな後輩が自分に想いを寄せているとは夢にも思わなかったから。
それまで殆ど彼と話をした記憶が無かっただけに。そして彼はどこか自分を苦手としているという感覚的な認識があった。

彼は、余り自分から他人と馴れ合う性格ではないようで、此方から話し掛けでもしない限り、話す機会など無いに等しかった。菊丸や桃城は、持ち前の明るさ、人懐こさで、嫌がる彼を無理やり構い倒していたようだが。
後輩を可愛がる、というにはやや強すぎる愛情に辟易していた様子の彼は、それでも押しに弱いのか何だかんだと菊丸達に付き合っていたようだった。

けれど自分は後輩に対する先輩愛などというものは皆無らしく、菊丸達のように自分から無理やり彼に接触を試みようという意志など無かった。
それでなくても何だか自分は避けられている気がしないでもなく、それなら無理に話し掛ける必要はないとも思っていたのだが。そして其れは自分の気のせいでも、勘違いでもはないはずだった。彼からは、無表情で遠巻きに此方を見る視線しか感じなかった。

だから本当にあの時は驚いた。瞬間、平生の笑みを浮かべるのを忘れるほど。
正直、性質の悪い冗談でからかわれているのかとも思ったが彼はそんなことをするようには見えなかったし、何よりも、その瞳が本気だと、本気で好きなんだと訴えていた。それは酷く綺麗な黒くて強い眼差しだったとおぼろげに思い出す。
彼のあんな顔は初めて見た。彼があんな表情を浮かべる少年だとは知らなかった。
其れは二つ目の衝撃。


しかし幾ら彼が本当に自分のことを好きだとしても、此方にその気が無い限り、彼と想いが交わることなどありえず、当り障りの無い言葉で断るしかないと、先輩の顔で優しく返事を告げた。


ごめんね、と言ったときの、彼の泣きそうな笑い顔は酷く印象に残るもの。
泣きたいのを必死で我慢しているようなその笑みは。


くしゃ、と少し歪んだ顔は、彼がいつも見せる顔よりも数段と幼くて、そんな顔もできたのかと酷く驚いた。途端に背筋に走るのはぞくりとした何か。奇妙に感覚がそそけ立つような、ざわりとしたものが皮膚の下を掠めたような気がしたが、今となっては曖昧で思い出せなかった。
けれど大したことではないので思い出せなくとも別に支障は無い。






脇に置いておいたラケットを右手で拾い上げ、立ち上がった。
もうすぐ休憩時間も終わる。そろそろ手塚が練習再開の号令をかける頃か、とコートの脇を見やると、彼らは休憩の間ずっと話を続けていたようで、今も並んで立っていた。

あのとき、自分の前で泣きそうになった彼は今、手塚に笑顔を向けている。


手塚もまた、柔らかい眼差しを小さな一年生に注いでいた。
手塚のあんなに優しい顔は、同じ部活で二年間近く共に過ごしてきた、仲間とも云うべき自分達も見たことがない。まるで慈しむようなあの顔は。


手塚は、本気、ってことかな。
そして越前も、あの様子だと満更でもないということか。
つ、と知らず不二の柳眉が上がる。



――君は僕のことが好きなんじゃなかったのかな?



あのとき震えた声で、僕を好きだって言ったよね。
真っ直ぐな、まるで貫くみたいな黒くて大きな瞳を揺らめかせながら確かに好きだと言ったはず。
それなのに、もう他の男と付き合っているってわけ?



――そんなの許さない。



ハッと自分が無意識に考えていたことに気づいて左手で口元を抑える。

…今、僕は何を考えた?
それじゃ、まるで越前が自分を好きじゃないと駄目みたいじゃないか。
彼は僕だけを見つめていないといけないとでも言いたげな。

――まるで自分が越前を特別な目で見ているような。


ギリ、と知らず、右手に力がこもる。みしりとラケットが微かな音を立てるのを頭の何処かがとらえた。
騒ぐ心を表すかのように、微かに軋んだ音を聞きとめて、うっそりと眉を顰めた。


いや。そんなはずがない。
そんなわけがあるはずない。
越前は自分と同じ性別を持つ男だ。そんな特別な感情を彼に向けるわけがない。
第一自分にはれっきとした恋人だっている。
――たとえ今の恋人に、大した愛情を感じていない、としても。


もっとも其れは今に限ったことではなく今まで付き合ってきた彼女全てに言えることだったが。
見せ掛けの笑みで、優しさで、甘さでもって、接してやりさえすれば、喜ぶ彼女達は自分にとって酷く好ましい存在だ。彼女達が欲しがる言葉を、行動さえ与えていれば、自分の考え通りに動いてくれるのだから。
其れは何処か、虚しさを感じざるをえない存在だとも云えたが。けれど常に自分に付き纏う空虚さ、退屈とも呼ぶべき空白を紛らわすにはうってつけの存在だった。


一時の快楽を自分に与えてくれる、柔らかく甘い匂いのする彼女達としか恋愛は考えられない。
だから君のことは、何とも思っていないよ。ただ、同じテニス部の後輩、としか。


今さっき横切った感情をなかったことにするかのように頭を振る。



僕は越前のことなんか好きじゃない。




誰にも聞こえないように口元だけで呟き、けれどその目は何かを秘めたようにじっと二人を見つめていた。




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