オレは強いから


だから


――大丈夫



嫌いになれない貴方  第五話 


昼休みになるとリョーマは生徒会室の扉を叩く。すると音もなく扉が開き、中から手塚の姿が現れ中へと招き入れる。
リョーマは定位置であるソファに座り弁当を食べる。
そしてそれが済むと手塚が横に座って膝を示し、リョーマは少し躊躇いを見せながらもおとなしくそこに横たわって。
それから昼休みが終わるまで手塚の心音に包まれながら眠るのだ。

これがリョーマにとっての日常となりつつあった。
そして今日も手塚の膝でまどろむ。この心癒される時間。

不二のことを忘れよう、この気持ちをなかったことにしようと恋心を押し殺すリョーマにとって学校にいる時間は苦痛なときに他ならなかった。
校内を歩けば、会えるわけがないと思いながらも自然と不二を目で探してしまっているし、ほんのときたま偶然にも会えたときでも、その横には不二と同じクラスの綺麗な彼女が当然のようにいる。
それを見るたび思い知らされる。


あのヒトはオレのことなんか好きじゃない
あのヒトはオレのことなんか何とも思っていない
あのヒトはきっとオレのことなんか気にしちゃいない
あのヒトはきっとオレが告白したことも気にしてなんかいない、きっと忘れてるに違いない


でも
オレはまだあのヒトのことを忘れられないでいる


今日もまた、不二先輩が綺麗な彼女と仲睦まじく笑い合っているところを見てしまった。
そして馬鹿みたいにまた衝撃を受ける。
本当、バカみたい。オレとあのヒトはただの先輩後輩でしょう?
なんでショックなんか受けてるの。哀しいって思ってるの?


ふいに何かが胸をしめつけ、落ちかけていた眠りの淵から引き戻された。
部長の膝の上、けれど眠った振りをしてギュッと唇を噛み締める。
優しい眠りが訪れるはずの時間。それなのに積もりに積もった苦しみが身を千切り、心を落ちつかせてくれない。


あのヒトの隣で笑うのがオレならいいのに
あのヒトが優しく微笑みかけるのがオレだけならいいのに
あのヒトが好きな人がオレだったなら…


何度となく夢見て何度となく打ち砕かれてきたことを、懲りずにまた思い浮かべてしまう。
いつまでも未練がましく想ってたら、あのヒトの迷惑になる。
そう分かっているのに、忘れなきゃ、ってそう分かってるのに抑えつけていたはずの恋心が暴れ出して。
こんなとき叫びだしたくなる。


どうして消えて無くなっちゃわないんだろう
望みがないって、オレなんかじゃダメだってことくらい分かりきってるのに
どうして?
あのヒトの姿を見るたび、苦しいって感じる気持ちと、それから
…嬉しくてたまらない、って気持ちを感じてしまうの…?

綺麗で、でも何処か冷たいあのヒトの姿を見ることができると愛しくてしかたない気持ちが溢れてきてしまう。
でも、そんな気持ちは邪魔なだけ。いっそ嫌いになれたら。

…苦しいよ
貴方を忘れることができたなら

胸の奥が締め付けられる。閉じた瞼から何かが溢れてきそうで更にきつく目をつぶった。


「…越前、我慢するな」

部長の低く響く声が触れ合ったところから伝わってきた。
「…っ」
けれど眠った振りをする。
「…お前は無理をしすぎるところがある。もっとも俺も他人のことは言えないがな」
そう言って苦笑する気配が伝わってきた。
「しかし、だからこそお前の気持ちが分からないでもない。…辛いのなら」

髪を優しく撫でていた手が止まった。

「泣いてもいいんだぞ…?」


心を見透かしたような其の言葉に心臓をぎゅっと掴まれ息が止まる。

「…ナニ、言ってんスか?部長」

動揺からか、少しかすれながらもリョーマは何とか言葉を返した。

「越前。俺はお前を大事な、…後輩、だと思っている。だから、たまには頼ってくれてもいいんだぞ」

まさか手塚がこんなことを言うなんて想像もつかなかったリョーマはいったい手塚がどんな顔をしているのか気になってきつくつぶっていた目を開くと、思ったよりも近くにあった手塚の顔が視界いっぱいに広がって驚いたように目を見張る。
手塚の其の表情は優しさが伝わってくるようなもので、 コートの顔とは全く違っていた。
嬉しいような、泣きたいような、少しくすぐったいような。
…切ないような、そんな気持ちになってリョーマはきゅっと唇をかみしめ目元を伏せる。

「…アリガト、部長。まさか部長がそんなこと言うなんて思わなかったから…ウレシイっす」

そこで、少し唇を上げて微かに微笑んだ。


リョーマのその顔は思わず抱きしめたくなるような、儚く、まるで消えてしまいそうな綺麗な微笑みで、手塚は動きそうになった手をギュッと握りしめ、とどまる。
苦しそうな顔を一瞬だけのぞかせた手塚の様子には気づかず、リョーマは言葉を続ける。

「でも、オレは泣かないよ?」

そう呟くとまた瞼を閉じて表情をなくした。


「泣かない、…オレは、強いから」


その、消えそうに小さく呟かれた言葉を聞いた途端もう抑えることができず、手塚は膝の上の小さな身体を勢いよく抱きしめた。 腕に伝わるのは柔らかく華奢な感触。

「…部長?」
「…少しだけだ。このままで居させてくれ」


お前がそんなことを言うから。何とも思っていないような顔でそんなことを言うから。

――俺は自分の心を抑えておく自信が無くなってしまった。


手塚はこの生意気で、でも純粋でひどく傷つきやすいところを見せる後輩のことを特別な感情で見ていた。
好きなのだ。愛しくてたまらない。
いつからそう想っていたのかはわからなかったが、気づけば自分のことを倒すべき対象としてしか見ていないこの一年から目が離せなくなっていた。
まるで射抜くようなその眼差しは、手塚の心に真っ直ぐに入り込んできて、そのまま捕えられてしまった。
この、自分と似たような気質を見せる幼い少年に。
俺のできることなら何でもしてやろう。傷つかないように守ってやりたい。そう思うのに時間はかからなかった。
けれど、狂おしそうに見つめるリョーマの視線の先に必ず不二がいることも知っていた。
それだけ自分もリョーマのことを見つめてきたのだから。

泣かないと呟いた小さな彼。
けれど独りになったときはどうなんだ?

決して他人に涙を見せるようなことはしないだろう、誇り高き少年。
確かに他人に涙を悟られるような真似は決してしないだろうことは容易に想像できる。
でも、それなら、独りになったときは?

涙が流れない人間なんていない。
特に、そうは見せまいと強がってはいるが酷く感受性が強くて傷つきやすいこの少年は泣きたくなることも多かったはず。
けれど、そんな様子は微塵も悟らせるようなことはせずにあくまでも自分は強いんだと背筋を伸ばす。
そして独りになったときには背中を丸めてひっそりと涙を流すのか…?

半ば推測めいた自分の考えは、しかし間違っていないとも確信していた。
この綺麗な子どもは、独りきりで膝を抱え黒々とした綺麗な瞳から大粒の涙を流してきたに違いなかった。
其の光景が簡単に想像できてたまらなくなった。

泣いてもいいんだ。
苦しいのなら泣いてもいいから。
お願いだから。独りきりで泣かないでくれ。
つらい気持ちを隠すようなことはしないでくれ。

―お前を守ってやりたいんだ、傷つけるもの全てから。
それが例えお前が流した涙だとしても。
守ってやりたい。



想いのままに、ギュッときつく腕の中で大人しくしている壊れそうに細い、しかし柔らかな肢体を抱きしめる。

「っぶちょー、苦しいッス」
「…すまない」

苦しさからか身じろぎしたリョーマに気づき、手塚はその腕を緩めた。

「変な部長」

おかしそうに綺麗な双眸で見つめてくるリョーマの幼い表情にまた愛しさがつのった。

「すまなかった」

同じ言葉をただ繰り返してから、その華奢な身体から拘束していた両腕を解いた。
本当はその感触が心地よくて解きたくなんてなかった。永遠にこの腕に抱いていたいとさえ思った。
けれど、それは手塚の我が儘でしかなく、この綺麗な少年が誰を見つめているかはわかっている。

「本当に変な部長」

リョーマはするりと手塚の腕から抜け出て、とんと軽い音をたてながら立ち上がり、でも、と背を向けた。

「…ありがとうございました。少し、気持ちが軽くなった、かもしれないデス」

そして部屋から出て行ったリョーマの耳が恥ずかしさからか赤くなっていたのは手塚の見間違いではない筈だった。

「…ありがとう、と言うべきは俺のほうなんだがな」

手塚はつられて顔を赤くしたのを隠すように大きな掌で天上を仰いだ顔を覆った。そしてソファに身体を深く沈める。



お前のために何かできたのなら、それほど嬉しいことはないんだ
例えそれが自己満足でしかないとわかっていても

だから
また此処に来てくれないか…?




最後まで言えなかった言葉を心の中で呟いて、そっと息を吐いた――





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