其れは、恋人たちの幸せそうな風景



貴方を映したがるこの眼など

つぶれてしまえば良いのに



嫌いになれない貴方  第三話 



「・・・ッ!!」


思わず声が出てしまいそうになって必死で口元をおさえて其れを押し込めた。

どうして、あのヒトがここにいるの?

甘く優しい微笑みを浮かべ見つめるその先には。あのヒトにお似合いの綺麗な人がいた。
先輩の耳元で楽しそうに何かを囁いた彼女に、貴方は柔らかく微笑みかけると。
可愛らしくほんのりと色づいた頬に、そっとキスを落とした―
瞬間、胸に走るのは強烈な痛み。

目の前には今にもキスを交わしそうな不二先輩とその彼女の姿。
それ以上は見ていられなくて、痛む胸を押さえ、その場から走って逃げ出した。





その日は、いつものように昼休みの時間に、裏庭でご飯を食べて昼寝でもしようと、お気に入りの場所へ足を向けていた。
教室で堀尾たちといっしょに食べることもあるのだが、団体行動はどうも性に合わないらしく、天気のいい日は大抵人気のない裏庭で一人のんびり過ごすのが常だった。
キラキラと太陽の光が樹の間からこぼれ、青々と萌える綺麗に手入れされた芝生の上に寝転び、ゆったりとまどろんでいる優しい時間が最近の自分には特に必要なもの。


部活では嫌でもあのヒトと顔を合わせなくてはならない。

忘れよう。あのヒトを困らせたくない。なかったことにしなくては。
気にしないでいようと幾ら思っても、心は簡単についていかなかった。
必死で、いつもの生意気でふてぶてしい後輩の顔をして不二とも接していたのだが、本当はつらくて苦しくて逃げたくて心の中はボロボロだった。
放課後に訪れる苦痛な時間を耐えて過ごすためにも、疲れた心を癒してくれるこの穏やかな昼の時間は自分にとって必要不可欠なものだった。


それがまさか其の本人に奪われるなんて。


自分とは全く違う綺麗で柔らかいあの女性は綺麗なアノ人によく似合う。まるで一枚の絵のような其の光景。
萌える緑の元、穏やかな日光を照り返しながら寄り添い微笑み合う二人の姿は、誰もがうっとりと足を止めて見入るような幸せな一枚の風景画だった。
けれど今だ不二への想いを醜く引きずり続ける自分には、そんな優しい気持ちで見られるものではない。
二人の姿が視界に映る度、醜く引き攣る自分には。まして互いにキスを贈り合う綺麗な二人の姿などは。
到底瞳に映すことも叶わない。


もう、あの場所には行かない。いや、行けない。
二人がいたあの場所を見てしまったら。幸せそうに笑いあう姿をどうしても思い出してしまうから。


あの光景から逃げるように走って、気づけば人気のない静かな校舎の中、扉を背にして座り込んでいた。
乱れた息をハァと吐き出して呼吸を落ち着けるように、制服の胸元をぎゅっと握って白い床を見つめる。
そのままの姿勢で身じろぎもしないでいると、もたれていた扉の中から人の気配がしてビクッと固まった。
顔を俯かせたまま、じっとしていると扉がゆっくりと中へ開かれ、上から聞き覚えのある声が振ってきて愕然とした。

「越前か…?」
「…部長?」

どうしてここに、と呟き、座り込んだ姿勢のままでようやく顔を上げると生徒会室の文字が見えた。
人気がないと思ったら、無意識に迷い込んだ此処は音楽室や理科室が並ぶ校舎棟のようだった。 当然、授業がない今の時間に生徒の姿は見えないわけで。
その棟の一室に生徒会室があり、リョーマは偶然其の部屋の前で座り込んでいたのだ。

突然のことに驚いて言葉を発せずにいるリョーマを、手塚はじっと見つめていたと思うと、膝をかがめて視線を合わせてきた。
その姿勢のままリョーマの頬へとそっと手を伸ばし、コートの上では滅多に見せないような仕草で優しく撫でる。

「どうした?顔色が悪いようだが」

どうしても固く感じられてしまう口調の中にもリョーマを気遣う優しさが見え隠れする。

「…別に何でもないッス」

普段の手塚から想像できない仕草に内心驚いてはいたものの、リョーマは固く言葉を返して顔を反らした。
そんなリョーマの姿を手塚は何かを探るように見ていたが、リョーマの身体に両手をかけると抱き上げて部屋の中へと足を進める。

「…っ!?部長!」

背中と両足に感じる手塚の逞しい腕に驚きつつも慌てて声を上げるリョーマに、手塚は静かに視線を落とすと窓際の三人が充分に座れるほどの大きさがあるソファにそっと華奢な身体を横たわらせた。

「ここで少しの間休んでいけ。部長命令だ」
「・・・何言ってンの、アンタ」
「そんな顔色でふらふら歩き回って倒れられでもしたら、たまったもんじゃないからな。少し休んでいくといい」

そう言うとソファの空いている隅に自分も腰かけて、リョーマの前髪をさら、と優しく梳いた。

「…何があったのかは知らんが、体調管理くらいはしっかりしておけ」

言った内容こそ厳しいが、あいかわらずその視線も口調も、髪を撫でる手さえも優しいものでリョーマは居心地が少し悪くなる。

「なんか、部長が優しいと気持ち悪いンスけど」
「ここ数日、お前の調子が悪そうだったからな」
「…アンタも菊丸先輩もどうしてそう勘が良すぎるんだか」

一生懸命繕っていたはずの虚勢の姿も軽々と見破ってしまう先輩たちに溜め息をつく素振りを見せながらも、なんだかほんの少しだけ嬉しくなって目の前の無愛想な姿にちょっとだけ甘えてみたくなった。
もちろん、困らせてやりたいという気持ちも多分にあったのだけれど。

「…ねぇ。膝枕してよ、部長」

当然断られると思っていたのだが、手塚は軽く目を見開いた後、仕様のない奴だと言わんばかりに、くしゃりと艶やかな黒髪を掻き回す。
そのままリョーマの小さな形のよい頭を優しく持ち上げると自分の膝の上へ乗せた。

「っ、部長!?」
「なんだ?お前がしろと言ったのだろうが」
「いや確かに言ったッスけど…」

まさか本当にするなんて、とブツブツ呟いて身じろぎをして身体を起こそうとしたリョーマの肩を、そっと大きな手で押しとどめる。

「いいから、少し休んでおけ。部活中に倒れられても困るからな。…それにお前は危なっかしくて見ていると心配でしょうがない」

それ以上文句も言うこともできなくて手塚の膝の上でリョーマは大人しく小さくなるしかない。
そんなリョーマの様子に満足そうに微笑む手塚。
初めは少し居心地が悪かったこの体勢も、しばらくすると慣れてきて。
なにより膝から伝わる手塚の温かい体温とその眼差しが心地よかった。
髪を撫でる優しい仕草と温もりに、だんだんとリョーマの意識が遠のく。

そして、自然とそのまま眠りの淵へ落ちていった。



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2004/08/09



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