アナタはどうして、全て見通してしまうの? ―― 隠して、おきたいのに |
嫌いになれない貴方 第二話 |
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「越前!グラウンド20周だ」 手塚の声に振り向くと、いつもの如く帽子をかぶっているため表情は見えないけれど、いつもと同じような態度で開始時刻を大分過ぎてからようやくコートに現れた小さな姿を見つけた。 「…ッス」 とだけ返事をすると、いつものこと、と手塚の厳しい表情など気にもしていない様子でグラウンドへさっさと足を向けた小さな後輩の姿。 その彼の様子からは、さっきのやりとりは窺うことは出来なくて、安堵の溜め息を漏らす。 それは部活内で、しかも数少ないレギュラーとの間で、余計な波風が立たなかったことから来るものだ。 あくまで、自分のペースを乱されなかったことへの安堵。 決して、告白を断られた彼の気持ちを推し量ったことからくるものではない。 自分勝手だとは承知しているが、別にこのスタンスを崩すつもりもない。 柔和な容姿と卒のない態度で、周りは自分のことを勝手に、優しくて優等生然とした人物のように捉えているようだが、それはそれで都合が良く否定する気もなかった。 勝手に思い込んでいるほうが悪いんだし。 先ほど自分に想いを告げてきた後輩も結局は上辺の姿だけを見て告白してきたのだろう。 そう考えて、今だグラウンドを駆けている彼を見る。 一年生ながら圧倒的な力を小さな身体に秘めている彼。 そのパワーと類まれな才能には敬服するけれど。 ときどき、彼が自分に何か言いたげな視線を寄越していたことは知ってはいたが、とるにたらないものとして大して気にも止めていなかった。 まさか、ソウイウ視線だったとはね。 同性愛とか、そういったことに偏見はないが同性に恋愛感情を持てるかといえば、また別問題。 確かに越前は少女めいた可愛い顔立ちと華奢な肢体をしているとは思うが、明らかに女が持つ柔らかな身体とは違う。 今までもきっとこれからも、自分は女性とだけ所謂お付き合いをしていくのだという漠然とした確信があった。 だから、ごめんね?越前。君とは付き合えないよ。 けれど、「忘れて下さい」と笑った、少し泣きそうな君の顔が消えないのは何故だろう― 不二に衝動的に想いを告げてしまった日から二日過ぎたが、彼との間で特に変わった様子はなかった。 そのことに安堵しながらも、少しだけ、残念に感じるのは気のせいだということにして、人気のない空間でいつもの作業をする。 今日は水曜日。 隔週に一度やってくる図書委員の当番の日。 普段なら憂鬱で面倒くさいことこの上ない当番も、今日に限ってはホッと一息つけるように感じるのもきっと気のせい。 あれから、いつもと変わらないようにして部活を続けていたけれど、あのヒトが何も感じていないような姿を見ているのは、時々辛くなる。 自分から忘れて欲しいと言ったはずなのに、本当勝手だよね、と自嘲気味に笑ってみる。 そんな考えを消してしまいたくてギュッと瞼を閉じる。 けれど脳裏に思い浮かぶのは鮮やかなあのヒトの姿。 早く忘れてしまえる日がくればいいのに、と心から思う。 けれども、きっとそんな日は当分来ないだろうということも、どうしてだか確信めいたものがあって、目眩を感じた。 別にこれが初めての恋と言うわけでは無い。 けれど、こんなに強い想いは、執着は、今まで感じたことは決して無かった。 まるで底なし沼。 足を捕られた、と気づいた時にはもう遅い。 後はどんどん深みに嵌まるだけ。 この気持ちから、彼から抜け出せる術はいったいどこにあるというのか。 暗くそのまま落ちいってしまいそうな思考を巡らしていたそのとき、勢いよく図書館の扉が開かれ、明るい日差しとともに、この場に不釣合いな声が響いた。 「おっちび〜!ちゃあんと仕事してる〜?」 「!?英二先輩?なんでココに!?」 今の時間は部活のはずで菊丸が図書館に現れることは明らかにおかしい。 カウンター越しにコートのほうを覗いてみても確かに今テニス部は活動をしている真っ最中だ。 「まさか…サボりっすか?」 「ちっがうよー?廊下からおちびちゃんが見えたからさ?真面目にやってるみたいだから、ご褒美を届けにきたのだ」 呆れた表情のリョーマを気にすることもなく、菊丸陽気に笑いながら、冷えて汗をかいているファンタを渡してきた。 「それがサボリなんじゃないスか?っていうかココ飲食禁止なんスけど一応」 「つっめたいな〜。おちびっ!愛の宅急便にゃのにっ!」 「…ナニ言ってんスか」 まぁ、でもわざわざアリガトウゴザイマス、と小さく呟かれた言葉を耳にして、ニッと嬉しそうに菊丸が笑う。 その笑顔を見て、不思議とさっきまでの気分が嘘のように穏やかな気持ちになって、ひっそりと微笑みながらプルトップを開ける。 其の様子を見て菊丸は嬉しそうに笑うと、ふと優しい表情を浮かべた。 不覚にも一瞬ドキッとしてしまったリョーマは不機嫌そうにブスっとしながらも、いつもの態度で「なんっスか?人のことジロジロ見て」と無愛想に聞く。 「ん〜?…おちびちゃん、ここんとこ元気なかったみたいだから、さ」 だから久しぶりにおちびちゃんの可愛い笑顔が見れて嬉しい、と恥ずかしげもなくのたまってくれた菊丸にぐっと炭酸飲料を喉に詰まらせてしまった。 なんてことをいうのだろうか、この男は。 抗議を含んだ視線でジッと見つめてやったが、その視線さえも嬉しいらしく、へへっと笑いながら続ける。 「やっぱり、おちびちゃんにはいつもみたいに生意気だけどカワイイまんまでいてほしいんだよね〜」 そんで笑ってくれたら言うことなし!となぜか威張った態度の先輩に脱力してしまう。 「っていうか、カワイイってなんスか。ウレシクないデス」 憮然とした表情で返すが、それそれ〜と逆に喜ばせてしまい、もう何でもイイです、と諦めの極地だ。 放っておこう、それがいい、と貰ったジュースを飲みつつ作業に戻った。 しばらく嬉しそうにリョーマの仕事を傍らで見ていた菊丸だったが、ぽつりと呟いた。 「…おちびはさ、なんでも自分で抱えちゃおうとするけど、たまにはもっと頼ってくれてもいいんだよ?」 「…っ、」 菊丸の言葉にいつものポーカーフェイスが嘘のように息を呑んで、まじまじと相手を見てしまい、そんな自分を恥じるように呆れた風を装った。 「ナニ言ってるんスか?ワケわかんナイっす」 そんなリョーマに頓着することなく菊丸は優しく言葉を続ける。 「おちびに何があったかなんて、そんなの分かんないけどさ、ただ俺に出来ることがあるならしたいんだよ」 こう見えてもおちびより年上だしね、と言い、暖かな眼差しを向けてくる。 「・・・っ、どうしてアンタは・・・っ!」 包み込みように、まるで慈しむような言葉をかけられて言いたいことは沢山あるのに出て来ず言葉に詰まる。 なんでもない振りをしてるはずなのに。してたはずなのに。 どうして、このヒトには分かってしまうんだろう? どうして見抜いてしまうの? 菊丸が来たことで今は消えてしまっていたが、ここ数日間ずっと捕らわれていた暗く重い気持ちをまた思い出してしまい、唇を噛み締め、俯く。 「うん、でもさ、俺はおちびのことが好きだからしかたないじゃん?」 気になるモンは気になるんだし、とあっけらかんと言われ、さらにギリと唇を噛み締めてしまう。 菊丸は、いつものおちゃらけた雰囲気が嘘のように暖かい微笑みを浮かべてリョーマを見つめると、そっと手を伸ばし、噛み締められたせいで赤く色づいてしまっている柔らかい唇を骨ばった長い指で撫でた。 「ほら、そんな顔しないでよ?せっかくの綺麗な唇が切れちゃうよ?」 そう言って、撫でたその指を自分の口元へ持っていき、ぺロリと肉厚的な舌で舐めた。 「やっぱり、おちびは甘いのな」 「っ、それはファンタでしょ!?」 菊丸の一連の動作に顔を真っ赤にしながら、怒ったようにやっとのことで言葉を返した。 「そうそう、それでこそおちび!」 にゃはは、と悪びれもなく菊丸は笑う。 「さってと、そろそろ戻らないとやっばいかも。それじゃあね、バイバイ!おちび」 何かあったら俺んとこに来るんだよ?いつだって俺はおちびの味方だかんな、と言って、来た時と同じく騒々しく去っていってしまった。 リョーマはそんな慌しく駆けて行ってしまった先輩の後姿を、唖然としながら見るともなしに見送っていたが、はぁ、と息を吐いてカウンターに突っ伏す。 …英二先輩にはかなわない。 普段はふざけた素振りでからかってくるのに、気づけば自分のことを気遣っている。 弱っているときなんかは特に。 自分でも気づかないようなことでも、まるで動物のような鋭い勘で嗅ぎ当てて何を言うでもなく側にいてくれた。 あのヒトには一生かなわないかもしれないな、と小さく笑った。 それもいいかもしれない。 猫のようなヒトだから。 少しだけ感謝の気持ちに包まれ笑みをもらす。 そして、さっさと仕事を終わらせて部活へと急ごう、と目の前に積まれた本に手を伸ばした。 ―- コートの中から一対の眼が見ていたことにも気づかずに。 「菊丸!お前はまたサボっていただろう!30周だ、走ってこい」 「に゛ゃあーっっ!?横暴だ!ヒドイーっ!!」 何が横暴だ。サボった当然の罰だろうが。さっさと行ってこいと手塚に両腕を組まれた格好で言われ、まだ文句を言いながらも菊丸はしぶしぶグラウンドに向かう。 文句を言った罰として更に10周追加された。 悲鳴を上げながらも、なんとか走りきり汗をかきながらコートに戻ってきた菊丸に不二がねぎらいの言葉をかける。 「おつかれ、英二。40周ですんでよかったね」 「ひっでぇのな。信じらんねぇよ。ちょっと練習抜けたくらいで。あいかわらず心が狭いぜ手塚」 「ふふ。そんなこと言ってるとまた走らされるよ?ほら睨んでる」 「あっ、うそ!うそだかんな、手塚!」 慌てて言い募る菊丸を見て呆れたように視線を外す手塚。 菊丸は、あぶねぇあぶねぇ、ヤツには冗談が通じないゼ、などとまだ言っている。 「…ねぇ、英二?随分と越前を気に入ってるみたいだね」 図書館にいたせいで走らされたぐらいだし?と続け、不二はいつもの笑みを浮かべた。 「えっ!?不二、なんで知ってンのー?」 「何言ってるの英二。ここから丸見えだよ、ほら」 そう言って指差す方向を見れば木々の隙間から確かに図書館の窓が覗けた。 「ホントだ。あれ?いつもはおちびちゃんの姿見えないのに」 「ほら、この前一斉に校内の樹の手入れが入ったじゃない。それでだよ」 「あぁ、にゃるほどー。なんかガーガーうるさいと思ったら葉っぱを切り落としてたんか」 納得したように頷く菊丸を、何かを含んだ笑みで不二は見つめ、呟く。 「いつも…ね。そんなに越前のこと気にしてたんだ、英二?」 「まっ、ねー。カワイイ後輩の世話はちゃんと見てやんないとなんないでしょ?」 それにアイツ危なっかしいし、と何処か愛しそうな表情を浮かべた菊丸に眉を顰めた。 「危なっかしい…?まぁ、確かに越前は相手かまわず挑発するところはあるけど」 「ハハっ。確かになー。それもあるっつーか。なんちゅーか。でも、そんだけじゃなく…」 と、そこで言葉を止めて菊丸は何故かパッと顔を輝かせ一目散に走っていってしまう。 「…英二?」 不思議に思い、走り去った方角に目を向けると。 「おっちびーっ!もう終わったのっ!?」 すると、図書館から歩いてくる小さな後輩に、叫びながら駆け寄ってギュッと抱きしめる様子が見えた。 いつもの光景ではあるのだが、練習中だということをすっかり忘れているらしい菊丸に、手塚が眉間にしわを寄せたのを横目で確認する。 あーあ。また走らされるよ、英二。本当こりないんだから。 溜め息をつきつつも何故か違和感を覚える。 ・・・あれ? よく見てみるとリョーマが大人しく抱きしめられていることに気づいた。 どうやら過度なスキンシップを嫌がるらしい彼は、今まで菊丸が抱きしめようものなら嫌そうに抵抗をして、大抵は菊丸から逃げ出していたのを思い出す。 しかし目の前の光景はいったいどうしたことだろうか。 表情こそ、うっとおしそうに歪められてはいるものの、その小さな身体が抱きしめられていることを許しているように見える。 菊丸はそのことに気づいているのか、そうでないのかはここから見る限り定かではないが、ああ見えて案外鋭い男であることは長年の腐れ縁から知っていた。 きっと、気が付いている。 その証拠に「・・・もう!おちびちゃん可愛すぎる〜っ!!」と感極まった様子で叫び、更にきつく抱きしめて、リョーマに「イイカゲン離れてクダサイ。ウザイ」などと冷たく言われながらも菊丸は満面の笑みを浮かべていた。 「いや〜メンゴメンゴ。ようやく俺の愛がおちびに通じたんだと思ったらカンゲキしちゃってさ〜」 「何バカなこと言ってんスか」 呆れた様子で、けれど小さく笑ったリョーマを見つめて、菊丸は嬉しそうに笑うと、ようやく抱きしめていた腕を解き、その代わりだといわんばかりにリョーマの小さな手を握って部室へと歩き出した。 「ちょ、ちょっと英二先輩!?別に一人で行けますから!放してクダサイ」 「いーから、いーから!丁重に送ってってあげるからさ」 「だから!別に一人で行けるッス!」 「にゃははー、聞こえにゃーい」 …あーあ、完璧に罰走追加、だね。英二。 文句を言いながらも大人しく連れられていくリョーマとそんなリョーマが可愛くてしかたがないらしい菊丸を見ながら、呟く。 ・・・まぁ、僕には関係ないけどね、と冷めた思考で視線を外すが、瞬間、胸の奥でチリと爆ぜる感覚がして戸惑う。 何・・?今のはいったい・・・? 首をひねって考えるが、瞬間横切った感情には覚えがない。 ・・・まぁ、いいか。 不思議には思ったものの、一瞬横切ったその感覚に言葉を付けることが出来ず、結局は取るに足らないものとして不二は常に変わらぬ表情で練習に戻った。 |
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2004/07/21 |