ただの先輩だと思ってたのに。








、はじけた] 

前篇









「君が、好きだよ」



柔らかな音色を紡いだ薄く整った唇を馬鹿みたいに暫く見つめた後、…へ?、とリョーマはこれまた馬鹿みたいな声を出した。
思いもかけない突然の告白に頭の中が真っ白になって、それきり次に言うべき言葉が見つからない。固まるリョーマを、男はただにこやかな笑みでもって見守る。
沈黙を守る二人の周りで夕焼けのグラデーションが橙から赤、赤から紫へと静かに色を変えていった。


決して短くはない時間が過ぎてようやく止まった世界が動き出し、目の前の彼をリョーマはまじまじと見た。
甘い蜂蜜をとろりと溶かしたような髪の其の人は、笑顔がとても綺麗で王子様みたいに素敵、と女子学生には評判で、容姿ばかりか勉強も運動も出来て(なんたってあの名門、青学テニス部のレギュラー)、あんなに素敵なんだからゼッタイ恋人いるよねー、と囁かれては嘆かれているという御人だ(堀尾が言ってた)


それが、なんで。



(なんで、不二先輩が、オレに、好き、とか言ってんの!?)



「……あの、もしかしたら、と思うんスけど、間違ってませんか」
「ん?大丈夫、君で間違ってなんかいないよ」
「…いや、あの……オレ、男、なんスけど…!」

少しではなく、大変混乱していたリョーマは部室での着替える際に、男である証拠を見せていた事も綺麗に消えたまま、優雅に微笑む不二に詰め寄って手を取ると、ウェア越しにぎゅっと押し付ける。

「ほら!胸なんかないでしょ!?ほら、よく触ってください!!」

凹凸のない平らな胸を確認させようとぐいぐい手を当てさせるリョーマに不二は頬をさっと染めた。珍しくも顔を赤くする不二の姿を間近で見ることになり、リョーマは少しではなくぎょっと驚いた。

(は!?なんでこの人赤くなってんの!?……夕陽のせい、だよね、
……そういうことにしておこう!)


「…いきなり、触ってくれ、だなんて……越前ったら、大胆だね」

しかし、必死に理由を考えたリョーマの努力を無駄にするように、不二は手を掬い取るように握ると、すっと身を屈めた。

自然な仕種で顔を落とす不二の琥珀色の瞳に夕陽が映り込んで、きらきらと七色に輝きながら近づいてくる。
次々に色を変える不思議な煌めきが視界いっぱいに広がって、吸い込まれては消えていった。

大きく目を見開いて固まるリョーマを愛しそうに見てから、不二はそっと離れていく。
ぼんやりと眺めていたリョーマだったが、満足げに不二が微笑むと、今の行為が何かハッと気づいて勢いよく手を振り放した。


「あっ、あんた!何てことしてくれてんスか!!」
「え?…触って、って言うから、遠慮なく君の唇に触れてみたんだけど…、
…もしかして深い方がよかった?」

気づかなくてごめんね、と綺麗に笑って再度身を屈めて来る不二に、リョーマは遅まきながらもようやく身の危険を感じて、バッと後ずさると射殺さんばかりの視線で睨み付けた。

「そうじゃなくて!胸に触って、男だって確かめてください、って言ったんです!!
…キス、しろなんて言ってないっ!」
「おかしな子だね…そんなこと、疾うの昔に知ってるよ?」
「じゃあ…っ、」
「うん」

ふわりと風が吹いて、亜麻色の髪をぱらぱらと弄んだ。
夕闇が近づいてくる紫の中、浮かび上がるようにきらきら光る。


「でも、僕は君が好きなんだ」



「………スミマセン、けど…オレ、不二先輩のことそういう風に見たことないんで」

真摯な眼差しと真剣な声音に不二の本気を見た気がしたが、だからといって、ハイと頷けるはずもなく。だから、スミマセン、とリョーマは小さく頭を下げた。
真剣な想いを断るのは些か躊躇われたが、しかし、好いてもいないのに付き合うかといえばノー。きっぱりと断るに限ると思った。

「………君の気持ちはよく分かったよ、越前」

自然と、視線を足元に落としていたリョーマに、不二はそう言葉をかけた。
断られて、不二の声は暗く沈んでいるかと思われたが、予想に反して普段と変わりなかった。いや、それどころかむしろ明るかった。
嫌な予感がしたが、分かってくれたのなら、とリョーマは視線を落としたまま、それじゃ、と踵を返そうとする。
其のとき、いつのまにか傍まで来ていた不二に両手を握られ、ぎょっと目をむいた。
温かな掌に両手を包まれて、え!?と慌てたリョーマが顔を上げると、間近に不二の満面の笑みがあって。

「とりあえず明日からは一緒にお弁当を食べよう」
「…ハァ!?」


流石、青学の陰の支配者と謳われるだけのことはある。普通の人とは一味も二味違った。
意味が分からず眉を顰めるリョーマに、不二はいつもの笑みを浮かべながら、顔の近くで包むように両手を握った。
繋がれた手の向こうで綺麗な微笑がだんだん夕闇に溶けていき、お互いの表情を分からなくさせる。


「そういう風に見たことがないのなら、見てもらうまでだ。……覚悟しておいて、越前」


ふわりと馨る甘いフレグランスが鼻先をくすぐったと思ったら。
素早い動作で優しく唇を盗まれた。
そっと手を離して不二は静かに遠ざかっていく。
ただ呆然と眺めていたリョーマだったが、完全に不二の姿が消えてから、かっと顔に血を上らせた。


「……あんにゃろ…、二回もキスしやがった…!」


唇を手で抑え、うめく。
頭の中はぐるぐると渦巻いて、妙に胸が騒ぐのが分かったが、気のせいだと深呼吸をして必死に息を整える。
何かが変わってしまいそうな予感が、妙に恐ろしかった。








翌日から、不二の猛攻撃が始まった。

行ってきます、と玄関を出ると、何故か家の前には不二の姿が。
抵抗しつつもいつのまにか不二の巧みな話術で一緒に学校へ行く事になってしまい、揃って部室に現れた二人の姿にテニス部一同が驚く中、不二はにっこりと笑って爆弾発言を落としたのだ。


「僕と越前、付き合うから。今後、越前に手を出さないように」
「…ハァ!?」

アンタ、ナニ言ってんの!?と果敢に噛み付いたリョーマへと続くように、しーんと静まりかえった室内は次の瞬間ドッと沸いた。

「そ、そうだよ!何言ってんだよ不二!!」
「越前ウソだよな?お願いだからウソだと言ってくれ…!」

顔を青くさせて詰め寄ってきた桃城にリョーマは引きながらも、ウソに決まってるじゃないスか!と叫ぶ。其れを聞いて安心した菊丸は、驚かすなよ、と不二を睨んだ。

「今はまだそうじゃない、ってだけだよ。
僕は越前に好きだって言ったから、越前が其れに是と答えればいいだけだ」
「っ、ハイハイハイ!!俺だって好きだよ、おちび!!」
「あっ、ズルイっすよ、英二先輩っ!越前!俺はお前が大好きだ!!」

それなら俺だって、俺も、いや俺も、と騒然とする部屋の入口で、リョーマは俯いてただふるふると震える。一方、不二はゆるりと騒がしい中を見やると業とらしく溜め息をついた。

「困った人たちだね…人の話を聞いてなかったのかな。
だから初めに手出ししないように言ったじゃないか」

ねぇ?と笑いかけてくる不二に、リョーマはバッと顔を上げた。どうやら震えていたのは怒りの所為だった様で、顔は真っ赤になっている。般若さながらの表情で、不二を睨みつけると大きく息を吸い込んだ。


「……ぜっっっ、たいに!!ハイなんて言いません!!」


大声で叫んで、最後にギッと一睨みするとリョーマは怒りに任せて部室を出て行ってしまった。
ぽかん、と小さな後姿が消えるのを見ていた面々の中、不二は優雅に小首を傾げ、呟く。

「……越前たら、練習どうするんだろう…」

((((((お前のせいだろ!!))))))

心の中だけで(口にしたら何をされるか分からないので)つっこみを入れると、其れが聞こえたかのようにゆるりと彼の人は振り向く。
びくり、と肩を跳ね上げたレギュラー陣をぐるりと見回し、不二は楽しそうに笑った。

「と、いうわけで手出しは無用だよ」

いつのまに着替えたのかユニフォームを身に纏って不二は、ひらりと片手を振ると、部室を出て行った。







「…なんでアンタがここにいるんスか…」

げんなりと溜め息をついたリョーマの目の前で、勝手にクラスメイトの椅子に座った不二はにっこりと笑うと、片手に持ったお弁当の包みを振る。
滅多に見ることの出来ない憧れの上級生の姿に、クラスの女子が色めき立っているのが分かった。
突き刺さる視線の多さに流石のリョーマも居心地が悪くなってくる。
包みを開かないまま、もぞもぞと体を動かすのを見て、それなら屋上へ行こうか、と不二は強引にリョーマを教室から連れ出した。



「…なんで、こうなったんだか…」

人気のない屋上で包みを閉じながらぐったりとリョーマは項垂れる。
不二の思惑通りなのか、二人きりの昼食は誰にも邪魔されず和やかに済んでしまった。
箸を進ませながらも不二は淀みなく話題を振り続け、リョーマの趣味や家での姿、好きな物等を知られるどころか、不二の好きな事、休日に何をして過ごすか、お風呂では何処から洗うか等、と知りたくもない知識を無理矢理詰め込まれた。
其の会話の中で如才なくも不二は、もう勘弁したいと思っていた二人きりの昼食を恒例行事としてしまったのだ。今日は偶然にも各々の都合でいなかったが、堀尾たちといつも昼食を取っているのに、なんて言って断ればいいのか。

(だって、不二先輩とそんな仲良くなんてなかったのに…)

全ての元凶の人物は髪を風に遊ばせながら、気持ちいいね、と嬉しそうに笑っている。



――ふいに強い風がぶわりと吹き付けた。

突風が不二の髪をぐちゃぐちゃに乱して逃げていく。
宙に舞い散る蜂蜜色が陽の光と混じ合って金色に変化して。
何気なく見ていたはずのリョーマだったが、煌めきに視線を奪われる。
天まで突き抜けるような空の青と金のコントラストは酷く綺麗だが、瞳に突き刺さるように眩しくて。
リョーマは眉をしかめつつ、鋭い痛みに目を瞑る。

「……君って、子は…」

溜め息と共に低く吐かれた不二の声には平生と違った熱が籠もっていた。
不思議に思ったリョーマが目を開けようとした寸前に唇に柔らかい温もりが重なる。

「んん…!」

驚いて目を開けようとするが重なる金糸が視界を覆って何も見えなくなる。それどころか細い髪先が瞳に刺さりそうになって慌てて目を閉じた。
瞼を掠める髪の感触にくすぐったさを覚えているうちに薄く開かれていた唇を濡れた感触が這った。
ワンテンポ遅れて其れがいったい何なのか、分かったリョーマが抵抗しようとしたが、両手は不二に抑えられ、圧し掛かるように口付けを受けているため下肢も動かせない。

「んー…ッ」

温かく湿った舌先が其れ以上進んでこないように歯を噛み締める。
しかし、不二は無理矢理抉じ開けようとは思ってないようで、互いの口唇の合わさった箇所を柔らかくなぞるだけだった。
少しだけ安心したリョーマだったが、ただ悪戯に這う柔らかい舌の感触に、背筋に熱が伝わるのを感じ、戸惑うように身を震わせた。

形の良い不二の唇が、リョーマの其れを小鳥のように啄ばんでは離れていく。
口付けを繰り返す合間にも尖らせた舌先で閉じられた唇の輪郭を辿り、戯れに中に割り入っては噛み締められた歯茎を丹念に舐るのだ。
滑らかな歯の表面を味わいながら、更に奥へと進み、頬の内側を優しく蠢く。
背筋に熱が走り、抑えられた脚が大きく震えた。

「ん…っ、は…ぁ…っ」


ふいに、奪われた時と同じ唐突さで身体を放され、リョーマは大きく息を吸い込んだ。
足りない酸素を補おうと必死に呼吸を繰り返していると、近くで嬉しそうに不二が笑った。

「ごちそうさま」
「……イイ加減、手ぇ放せ…ッ!」
「駄目、だよ…」


両手を壁に縫いとめたまま圧し掛かるようにして、また顔を近づけてきたのに重なるようにチャイムの音が響く。


「…残念。また今度、ね」

ひらりと微笑むと不二は、立ち上がり身を翻す。
蹲ったまま、其れを睨むように見送っていたリョーマだったが、ゆっくりと不二の後姿が扉の向こうに消えると、は、と息を抜いた。知らぬうちに呼吸までも止めていたらしい。
ふと両手がひりひりと痛むのを感じ、何気なく見下ろして、ぎょっとした。
両の手首にくっきりと赤い痣が出来ていたのだ。
綺麗に指の輪の形になっている其の痕は、ぶつけて出来たのだという言い訳は通用しそうにもないほど鮮やかだった。


(…さっきは痛みなんか感じなかったのに…)

無意識に眉間に皺を寄せながらポケットからリストバンドを出して両手首にはめた。
布の下に隠れ、視界には入らなくなったが、ずくずくと疼く痛みは、くっきりと其の存在を主張する。

「…ッ、にゃろう…!」


火照る其処に無意識の内に布の上から唇を押し付けて。
唇に当たる柔らかい布の感触に、これじゃまるでキスしてるみたいだ、とハッと気付いて、慌てて離す。


其れから思いついたように、布越しにきつく歯を立て、疼く熱を痛みで誤魔化した。





2005/11/14



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