【 さらにはこんな続きを 】 |
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―――佐伯家にて。佐伯とリョーマが更なる愛の確認をした次の日のこと。 そのまま佐伯家に泊まったリョーマが早起きなど出来る訳もなく、当然のように寝坊して。 朝練に間に合うはずもなく、それどころか一時間目すら遅刻しそうな時間にギリギリで教室に滑り込んだ。 ちょうど担任の国語教師が前の扉から入ってきたのを横目に窓際の席について息を整える。 駅からずっと走ってきたせいで酷く暑い。シャツを仰いで風を送り込みつつ、連絡も無しに朝練サボって部長カンカンだろうなぁ…とリョーマは酷く憂鬱そうに溜め息を付いた。 走るのは嫌いではない。しかし何ごとにも限度があるのだ。 (…次朝練を休んだら、グラウンド100週だっ、け?) ヤバイ、と青褪める。背筋を伝った汗がすっと冷えた。 この前、部長にこんこんと説教されていたときそんなことを言っていたような気がする。最近遅刻やサボリが目立つリョーマに限定して、1回休むと50周。2回目で100周。そして3回で200周だ。倍倍に増えていく、なんとも嬉しくない加算制度だとリョーマは思う。 延々と続くかと思われた説教中に不二が突如乱入してきたおかげで其の場は有耶無耶になったがきっとあの堅物のセンパイは覚えていて容赦なく走らせようとするだろう。 50周はまだいい。100周だってまぁ余裕だ。しかし200周はちょっと多くはないだろうか。…もはや400周なんて尋常ではないと思う。 もし授業も事情なき理由(つまりサボり)で休むようなら其の周回数に更に2を掛けるとあの男は豪語していた。 ――手塚国光、恐ろしい男だ、と認識を新たにした瞬間だった。 必死に回避策を考えているうちに眠くなって突っ伏すように寝ていたところを堀尾に起こされたらいつのまにか昼休みで、リョーマは寝ぼけてフラフラしつつも中庭へと向かう。 「おっちび〜!こっちこっち!!」 遠くから呼ぶ声にリョーマは弁当片手にフラフラと手招きされた方へ歩いて行った。 「おちび!ココ!ココ!!」 「…見れば分かるっす」 冷たい声を出すリョーマを全く気にせず、嬉しそうに菊丸は隣りに座らせた。 これは最近に限っていつものことになった。 菊丸とリョーマが一緒に昼食を取り始めたのは今から数えること三か月前。丁度リョーマが佐伯と付き合いだした頃からだった。 それは決まって不二が昼休みにいない月曜日。 この『不二対策会議』(菊丸命名)は言わずもがなではあるが菊丸が言い出したことであり、また全く内容を伴わないものでもあった。 疑わしい視線を向けたリョーマに慌てた菊丸が、敵(不二)の動向を知らなければ倒すことだってできないだろ!?という無茶苦茶な言い訳を必死に言い募ったところ、丸め込まれたリョーマがそれもそうかな、と納得して今に至る。 「……でも、もう大丈夫なんじゃないかと思うんスけど…」 「甘い!おちびは甘すぎる!!あいつは、あの男はそんな生易しいもんじゃ……人間じゃないんだ!!」 「……はぁ」 ぶるぶる拳を握って恐ろしいほどに力説する菊丸。人間じゃない、と、親友とは思えない台詞が飛び出たことは気になるが。とりあえずリョーマは引き気味ながらも返事をした。 (…えーじセンパイ…大袈裟すぎ…) ―――しかし、リョーマもまさかあんなことになるとは思っていなかったのだ。 * * * * * 「チーッス…」 「…越前、此処へ来い」 そろり…と部室に入った途端、飛んできた厳しい声にリョーマはびくっと立ち止まった。 机の前で手塚が普段以上に厳しい表情で待ち構えていて、リョーマは心の中だけでげんなりと溜め息をついた。 「…どうして呼ばれたのか、分かるか?」 「…ッス……朝錬休んでスミマセンでした…」 「分かっているならいいが…規律は正す必要がある。罰として前にも言っておいた通りグラウンド100しゅ、」 「ちょっと。待って、手塚」 突如、背後から掛かった声に手塚は嫌な顔をして振り返った。リョーマも不思議そうな表情で目の前に立つ彼の人を見る。 二人の周りに漂う、厳格な空気を掻き回すかのように優雅な態度で机に手をかけて、其の男はにっこりと笑った。 「規律は守らなきゃならない、っていう手塚の言い分も分かるけれど。…リョーマくんの話も聞かないで其れは無いんじゃないかな?」 ねぇ?と綺麗な笑みで不二に話を振られてリョーマは曖昧にハァと返しつつも俯いて内心冷や汗を流した。 (…話って言われてもそんなのないし。ってかそもそも話せないし!) だらだらと擬音が聞こえてきそうなほどに困っているが見事なほどに表情は変わらないリョーマに、不二はただふわりと笑いかけると、打って変わって恐ろしい目付きで手塚を見据えた。 「…君は必要以上にリョーマくんに目を掛けてるみたいだし?彼がテニスを何より大切にしていることはいくらお鈍さんな君だって知っているよね?現に今までリョーマくんが練習に遅れることはあっても休んだりなんてことは一度も無かった。目立ってきたのは極最近の数回だけだよ。其れだってきっと何か理由が有る筈なんだ。其れを頭ごなしに叱るのは上に立つ者としてどうかと思うけど?」 滑らかな舌でもってつらつらと述べる不二からは妙な気迫が漂い、言葉の端々には手塚に対する棘がびしばし見えている。 無表情でだらだら汗を流す手塚。 と、リョーマ。 と、聞き耳を立てているテニス部の面々。 何といってもこのたおやかで美しい外見に反してとってもイイ性格をしている魔王様が、今までに無いほどの寵愛を生意気ルーキーに注いでいるのを誰もが知っていたのだ。 不二のリョーマにかける情熱は尋常ではないのだが、如何せん肝心の想われ人がそういった方面に関して激的に鈍いため、不二の魔手から何とか逃れられている、という現状でもあった。 「……不二の言うことにも一理ある、と、思う。とりあえず理由を聞かせてもらおうか…越前?」 「、えっ!?」 「リョーマくん?遠慮なんかしないでいいんだよ?さぁ!」 (さぁ!って云われても…ってか、理由とか聞かれても困るから!) えーと、と言葉にならずに詰まるリョーマをにこにこと見つめて促す不二に冷や汗が止まらない。 まさか恋人の処に泊まって気づいたら朝錬に間に合いそうな時間ではありませんでした、なんて幾ら生意気ルーキーなリョーマでも、不二にも手塚にだって言えるほど厚顔無知な訳もなく。 ただ黙って俯くリョーマに、不二はけれど笑みを絶やさず近寄って肩に手を乗せる。 「大丈夫だよ、いくら手塚が朴念仁で、融通と更には気まで利かないどうしようもない男だからといって、ほら、仮にも部長なんだし? リョーマくんの事情を聞いてもまだごちゃごちゃ言うようなら僕が容赦しないから、ね?」 「…おい、不二」 「ね、リョーマくん?テニスを誰よりも愛してる君が正当な理由も無く無断で練習を休むわけないもんね。……何か、訳が有るんでしょ?」 聞き捨てなら無い言葉の数々に怒髪天を突きそうな勢いの手塚を綺麗に無視して笑いかける不二の手に力が籠もったのは気のせいだろうか。 いや、あの…と戸惑って口をもごもごさせるリョーマの常に無い表情の変化を暫く堪能した後、不二はゆるりと空気を変化させる。 笑っているのに、瞳は決して笑っては居ない其れ。 きつく掴まれた華奢な肩がぴくりと震えた。 「…ねぇ、リョーマくん?もしかして言えない理由、なのかな…?」 「…!あ、の、」 「あんまり、苛めないでやってくれないか?」 突如、涼やかな声が開け放たれたドアから響いた。 ことり、と音を立てて開いた扉に持たれかかって爽やかに笑みをかけた人物に部室の中の視線がざっと集中する。 部活の準備をしながらも次第に緊迫していく三人の会話に耳をそばだてていた青学テニス部一同は突然現れたその人に目を丸くした。此処に居る筈などない人物。 今だ、不二に肩を掴まれていたままのリョーマも例外ではない。むしろ知りすぎた相手なだけに驚愕は倍増だった。 其の中でただ不二だけが瞳を細めて睨むように其の男と対峙していた。 「っ、こ、じろー?」 驚きの余りに小さく零したリョーマの言葉も聞き逃さずに、ふーんと何かを納得したように不二は呟く。 「…こじろー、ね」 あ、と慌てて口を抑えたリョーマに其の男、佐伯は甘い笑みで笑いかけつつも颯爽と机の側まで歩み寄ると、赤い携帯を取り出し手渡した。 リョーマはきょとんとした顔で受け取って、ぱちぱちと瞬きをしながら佐伯の顔を見上げる。 其の愛らしくも稚けない表情を佐伯は蕩けるような瞳で見つめる。周囲からは痛い視線がびしばし突き刺さってきたが、佐伯は奇麗に無視してリョーマに笑いかけた。 「今朝うちに忘れていったろ?リョーマんチから何回か掛かってきてたから急ぎの用だとまずいと思って持ってきたんだ」 「あ、ほんとだ…なんだろ…、…わっ!」 カチカチと操作して着信履歴を確認している内に、手の中で突然震え出した携帯にリョーマは慌てた声を出した。 取り落としそうになりながらも点滅する画面を見ると、丁度家からの着信。出なきゃ、と通話ボタンを押そうとして、話中だったことを思い出すが、でも急用だったらどうしようと、リョーマはただ困って手塚の顔をじっと見つめる。 「……電話に出ていい」 「!アリガトーゴザイマスっ」 バタバタと部室の外に駆けて行くリョーマを見送った途端、机の周囲(正確には不二と佐伯の間)の空気が氷点下に達しそうな勢いで下がった。 「……今朝、ね」 沈黙が落ちる中、呟かれた不二の一言を皮切りに気温が更に下がる。 甘い笑みでリョーマが去った方向をじっと見つめていた佐伯は其の声にくるりと振り向く。 「やぁ、不二。久しぶり」 「本当、久しぶりだね、佐伯。大会以来かな?まぁ君の顔なんか大して見たくもなかったけどね」 「はは、懐かしいなー、不二の毒舌。相変わらず笑顔で言いたいこと言うんだ?」 「やだな、人聞きの悪い。僕は嘘が付けない性分なだけだよ。君こそ善い人の仮面で越前を騙すのは止めたら?」 「其れこそ人聞きの悪い。仮面じゃなくって俺は善い人だからね。不二と違って騙すようなことは何もしてないなぁ」 「ふふ、面白い冗談だね。……笑えないよ」 ははは、ふふふと親密そうに笑いながらも、隠し切れないというかむしろ隠そうともしない毒が会話から滲んできて周囲の顔色が次第に青くなる。 出来ればこの空間から逃げ出したい、けれど其れをしないのはひとえに生意気だけれど其れすらも可愛い一年生ルーキーと佐伯との関係が気になるからだろう。 規律重視の部長ですらも口を出さずにこの闘いを見守っている(というか口を出せない)のが其の証拠。 もしくは二人の会話を邪魔したら何かに呪われそうであったからかもしれないが。 「…さて、楽しいお喋りはこのくらいにして本題に入ろうか?」 不二が口元に浮かべていた笑みを引っ込め見開いた瞳にきつい光を宿す。 対して佐伯は表情を崩さない。あくまでも爽やかな笑みを投げかけて首を傾げた。 「なんのことかな?……あぁ不二がついた嘘について、とか?」 「嘘?僕は嘘なんかついた覚えはないよ。だって君が悪さばっかりしていたのは事実でしょ。僕は其れに少しスパイスを効かせただけ」 「昔のことは不二だって同罪の筈だけどな…まぁいいや。そんなことより俺が不二を好きだって話の方が気になるんだけど」 「…其れこそお互い様なんじゃないの?まさか僕が知らないとでも思ってた?」 そこで、一呼吸入れるように腕を組んで壁に持たれかかった不二は菊丸をちらりと見やった。 着替えながらも固唾を飲みつつ見守っていたところ、いきなりの意味深な視線に菊丸の背筋がびっと伸びる。嫌な予感がビシバシした。 「…ねぇ英二?」 「は、ハイっ!?」 なんで俺が!?と言わんばかりに目をまん丸にした菊丸に不二はにっこりと微笑んで同意を求めた。 「君も知ってる筈だよね…?」 どうして菊丸が?と、部室中の視線が怯える菊丸に集まる中、腕を組んだままの威圧的な格好で不二がゆっくりと話す。 「なんたって越前と仲良くお昼を食べる仲だもんねぇ…?」 「にゃっ!?にゃんでそれを!!?」 「え、英二!?越前の昼ごはんは邪魔しないって前に約束しただろ?」 「そーっすよ!オレたちだって我慢してるのに、ズルイっす!」 青学テニス部で重すぎるほどの愛を一身に受けているリョーマ。誰もがこの可愛い後輩と少しでも一緒に過ごしたがったが、いい加減切れたリョーマに、シツコイ!と怒鳴られてから泣く泣く行動を控えていたレギュラー陣にとっては寝耳に水のことだった。 当然周囲から一斉に砲火を浴びせられて菊丸は肩を竦めるが、それでも尚、 「だって!おちびが協力してほしいってお願いしてきたんだもん〜!カワイイ後輩の役に立ちたいじゃんよっ!」 と、反撃を試みたが、 「協力という名にかこつけて、越前と昼ごはん食べたいだけのくせしてよく言うよ。…まぁ英二については後でお仕置きするとして」 あっさりと不二に伸されてしまう。 ぐぇっと蛙が潰れた様な声を出した菊丸を無視して、不二は佐伯を見て小さく笑った。 どうやら佐伯もこのことを知らなかったらしく、ただ無表情に菊丸を見つめていた。本人も気づいていないのか、いつもの笑みが消えたその表情はひどく恐ろしかった。 余裕のない佐伯の表情に少しだけ溜飲が下がった不二は身体を壁から起こしてにこりと笑う。 「そんなに恐い顔しないでよ、佐伯。男の嫉妬は見苦しいよ?君は聞かされてなかったんだね…一応と云っても今のところは『恋人』なのにね……信用されてないんじゃない?」 そう云ってふふっと笑う不二を鋭い目で刺した後、佐伯はふっと笑いを零していつもの表情に戻った。 「菊丸に協力を頼んだ方がいいって前に俺が言ったんだよ」 「……ふーん、そう」 ふーん、と忌々しげに再度呟いた不二はちらりと後方をみると厭な笑みを浮かべた。 「そうそう、さっきの話だけど僕は嘘は言ってないよ。…ただ君が好きなのが僕じゃなくて僕の姉さんだっただけ」 「「「「「えっ!!?」」」」」 不二は不二でも下の名前が違ったんだね〜とのうのうと言う不二の視線は佐伯を通り越している。 にこにこと全開の笑みで嬉しそうにしている不二に厭な予感を覚えて佐伯が後ろを振り返ると。 「りょ、りょーま?」 恐る恐る振り返った先には無表情で佇む小さな恋人の姿が。 いつのまに部屋の中へと戻っていたのか分からないが、先ほどの不二の問題発言はしっかりと耳に入っていたらしく、佐伯をじっと見つめていた。 幼いながらも整った顔立ちなだけに表情がないと妙な凄みを帯びる。 「…へぇ…初耳」 「…リョーマ?」 「由美子さん、美人で可愛くてキレイだもんね」 いや、其れはどれも同じです的なことを低い声で述べてリョーマはキッと睨む。 佐伯もココで否定しておけばよかったのだが、如何せん上目遣いで睨む可愛らしさに目を奪われていた所為でタイミングを逃してしまった。 「…それに料理も上手だしお菓子だっておいしく作れるし勉強教えるのもうまいしマッサージだってしてくれるし…」 「ちょ、ちょっと待ってよリョーマ。…なんでそんなこと知ってるわけ?」 「え、だって不二先輩んチ行ったことあるもん」 ケロリと言って、それがどうしたの?と云わんばかりの表情で小首を傾げる。 其の様は非常に可愛らしかったが言っていることは実に凶悪だった。 あの不二のお宅にお邪魔したばかりか、勉強まで教えてもらったということは可也長居したということで。更にはマッサージという際どいスキンシップまで図られていたのだ。 由美子という人柄を知っていなくとも十分に危なかったことは想像に難くない。 もう笑顔の仮面を付けている場合ではなく、佐伯が憤懣遣る瀬無い表情で不二を睨むと、不二本人も驚いたことに笑顔が消えていた。 「……まさか、僕の居ないとこでそんなおいしいことを…姉さんのやつ…」 「えっ!不二知らにゃかったの!?」 「…知らにゃかったんだよ…英二」 どうしてだろう。可愛く聞こえる筈の猫語が不二が操るとこんなにも禍々しく響くのは。 余計な一言を言った菊丸は青くなって固まるとギギッと音を立てて不二から視線を逸らした。 「ごめん、佐伯。僕の預かり知らないところでそんなことが行なわれていたなんて…吃驚だよ。今度からはきちんと僕が居るときにだけリョーマくんを招待するから安心して。だから君は姉さんとの愛を貫いてくれて全然構わないからね」 「!」 やっぱり!といいたげな視線でリョーマはキッと佐伯を睨むとツカツカと歩み寄ってくる。 其の妙な気迫と怒ってても可愛らしい姿に、佐伯は声も無く見守る。 机の傍まで来たリョーマはしかし一同の予想に反して手塚をギッと睨みつけた。 「部長!」 「な、なんだ越前」 「今日はこれで失礼しマス!なんかウチから急に呼び出されたんで!」 は?と目をテンにする周囲を尻目に鞄を手にすると佐伯に目もくれずリョーマは颯爽と部室を出て行った。 「りょ、りょーまっ!」 其れを見て佐伯も慌ててリョーマを追いかけ部室を飛び出していく。 「……」 よく分からないまま取り残され呆然とする青学テニス部の一同だったが、ふふふ、と地を這うような笑いに一斉に固まった。 「…どうやら、まだまだ生温かったようだね……次はどうしてくれようか」 「ふ、ふじ…?」 「…さて、と。とりあえず出来ることから始めようか…ねぇ、英二?……僕が人間じゃない、ってどういうことかなぁ…?」 ひぃっと息を詰める菊丸ににじり寄る魔王の影。 去った後の部室が阿鼻叫喚に包まれたことをお騒がせな恋人たちは知らなかった。 「リョーマ!待って!!」 「こじろーなんか知らない!」 さて、こじれた糸がほどけるのは何時のことやら。 |
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2005/06/10 |
この後、仲直りえっちして妙な痴話げんかは収まります。