其れはお互いの呼び名が、『リョーマ』『こじろー』に変わった頃のちょっとしたお話。






 き に は 、 こ ん な  も  



 佐伯がリョーマに告白して、よく分からない理由ながらも其れにリョーマがハイと答えてから季節が一つ過ぎようとした日、リョーマはいつものように佐伯の家まで遊びに来ていた。
 お互いの家の距離が少し、というより可也離れていたため、間を取って中間地点で遊ぶことも過去あったのだが、リョーマが家でゴロゴロするのが好きだから、さらに言えば佐伯がカワイイ恋人を他人の目に触れさせたくないというどうしようもない理由から、どちらかの家で過ごすことが多くなってしまったのだった。
 勿論、佐伯がリョーマの家まで行くこともあったのだが、何故かいつも家に居てグータラしている何処かの坊主が邪魔しに来たり、リョーマが目に入れても痛くない程に可愛がっている愛猫が佐伯が来るときに限って側から離れようとしなかったりするため(これは佐伯側の主張だが)、必然的にリョーマが佐伯の家にお邪魔することが多くなっていた。

 大きく取られている窓からはこの時期特有の陽気な光が差し込み、飴色のフローリングに暖かな色を添える。それに誘われるように二人寝転び、部屋の真ん中に大きく広げたジグゾーパズルに興じていた。


「最近、きれいになったね」
「………は?」


 お気に入りのクッションを胸に抱えながらリョーマが呟いた一言に、佐伯は手に持っていたパズルのピースをぽとりと落とした。
 そして発言した本人をまじまじと見詰めるも小さな恋人の視線は先日買ったばかりのジグゾーパズルに釘付けで佐伯の視線と合わさることはない。
 先日観た映画のサウンドミュージックがただただ静かに二人の背景を流れた。

「あ。そこ」

 佐伯が落としたピースを桜貝の如き爪で摘み上げると空いていた箇所に嵌めてリョーマは佐伯に視線を上げてにっこりと笑う。
 ね?と可愛らしく小首まで傾げて求められた同意にそうだね、と爽やかに微笑をかえすも佐伯の脳内は先ほどの台詞で埋め尽くされていた。
 『きれいになったね』
 多分に棒読みのように聞こえたそれは佐伯に対して言われた台詞ではないことは明白だ。ふと意識下にあった言葉がぽろりと出てきたのだろう。
 事実、彼の視線はずっとパズルに釘付けで、ちょっと嫉妬してしまったくらいなのだから。
 街中のウィンドウに飾られていた、ヒマラヤンのフォトパズルを見上げる横顔が可愛くて、思わず買ってしまったのだが、ここのところ愛しい恋人はこれに夢中で、佐伯にちっとも構ってくれない。正直面白くなかった。
 一見して爽やかな微笑を浮かべる佐伯は恋愛に関してもそういったイメージで淡白だと捉えられがちだが本当はいつだってどろりとしたものでいっぱいで。ようやく手に入れたカワイイ人は特に、そういった感情を引き出すのが上手で困る。本人が無意識にやっているのだから余計に性質が悪いのだが。
 ふと、喰えない幼馴染の顔が浮かんだ。
 彼もまたたおやかな笑みで内心同じものを孕んでいた。上手に笑顔の仮面で隠していたがそれは隠し切れない事実。
 大会で久しぶりに見かけた彼は格好こそ成長していたが内面は変わっていないことなどすぐ見て取れた。隣に佇む後輩への視線は昏い愛しさで溢れていたから。

 その後輩、もとい佐伯の恋人は今、目の前で白いピースを口元に持ってうんうん唸っている。
 仄かに上気した頬が桜色に染まっているのを見て、佐伯は目元を弛める。
 少し長めの前髪が大きな瞳を隠すように覆い被さっていて、其れをさらりと額へ撫で上げた。
 短毛種の猫の背中のような感触に目を細めながら正面から顔を覗き込んで問いかける。

「それ、不二に言われた?」
「うん」

 生返事を返しながらもいとけない視線は手元から離れない。
 佐伯は一つ嘆息すると小さな指の間に挟まれていた白いピースをするりと取った。

「ここ、だよ」

 ぱちりと音を立てて隙間に埋められた白いピースを見て、リョーマがむぅっと唇を尖らせる。其れを見た佐伯は身を乗り出し、其の赤い唇を啄ばんだ。
 自然なその流れにリョーマが目元を薔薇色に染めて睨むのを、ね?と先のリョーマを真似して小首を傾げてみせ、更には爽やかな笑みまで浮かべた佐伯に、リョーマはつんと横を向く。
 その気位の高い猫のような仕種は佐伯のお気に入りだったので全く効果はなく、相変わらず可愛いな、と抱きしめていたクッションを取り上げて小さな身体を抱きこんだ。
 実はこの部屋に来てからずっとリョーマの体温を独占していたそれにすらも嫉妬していたのだ。

「ちょっ、くすぐったいっ!こじろーっ」

 後ろから艶やかな黒髪に口付けを落とし、薄紅色に色づいた耳元に頬を寄せると腕の中の肢体が身を捩じらせてくすくす笑う。

「もーっ、パズルできないじゃんっ!」

 怒った口調でつんと唇を尖らしているがさっきまで拗ねていた雰囲気は綺麗なまでに消えていて、その証拠といわんばかりに鈴の音のような笑い声をたてながら佐伯の悪戯な手を楽しげにぺしぺし叩いている。
 軽やかな笑い声、身を捩る度に光る甘い馨りに胸の奥が熱くなる。
 紅潮した頬にするりと手を滑らせ顔を覗き込むと途端に目元を紅く染め視線を逸らそうとする小さな恋人に佐伯は甘い笑みを隠しきれない。
 キスだって何度となく交わしたし、身体だって繋げた。
 それなのに未だに佐伯の顔を近づけると恥しそうにする様が佐伯の心をくすぐってならない。
 さっきの態度だって、突然の口付けに瞳を閉じることもできないまま、至近距離で顔を見てしまった所為だと分かっていたから。仄かに火照った頬を隠そうと拗ねた振りで顔を背けたことなど疾うにお見通しだった。
 腕の中の小さな存在が愛しくてたまらない。
 恥しそうに瞼を伏せて佐伯の腕の中でじっとしたままの華奢な肢体を強く抱きしめて。それから、影を作るほどに長い睫毛に軽く口付けを落として。
 紅い唇にそっと口付ける。

「……………ァ…ッ」

 羽根の様に優しく触れてから、性急に口腔を探る。
 小刻みに震える身体を感じて心臓がぞろりと蠢くのが分かった。背筋にぞくりとした感覚が這う。
 真珠の粒のように滑らかな歯に舌を這わせ、犬歯を突ついて。
 それから奥の方で縮こまっていた小さな舌を絡めとる。
 撥ね返す柔らかさを包み込むように、音を立てて味わっていると、交わる唇の間から甘い喘ぎとともに苦しそうな息が上がった。

「……っ、もぅ…っ…し…つこいっ」

 小さな手で佐伯の顔をぐいっと押しやって息を整えようとする姿に佐伯は甘い笑みを浮かべて紅く染まった耳朶を触る。

「いつまで経っても慣れないな、キス」
「…ッ、アンタは随分とお慣れのようデスね、佐伯サン」

 わざと他人行儀に呼ぶリョーマの口調に微かに見え隠れする可愛らしい棘に佐伯は嬉しそうに破顔して顔を押しやったまま頑なに拒む白い手を取ると口付けを落とした。

「リョーマが嫉妬してくれるなんて初めてじゃないか?」
「な…っ、してないし!…ちょっと!なんで笑ってンの!?」
「ちょっと……いや、可也、かな。嬉しくてつい、ね」

 至極嬉しそうに笑いながら薔薇色の指先に小さく口付けをし続ける佐伯の貌は艶めいて色を纏う。
 男臭ささえ漂う其の表情を間近で見てしまったリョーマは思わず見惚れながらも、そんな自分さえ口惜しいとでも言いたげに憤然と手を払いのけ、そっぽを向いた。

「やっぱコジローはタラシなんだ、不二先輩の言ったとおり!」
「…ひどいな、リョーマ。俺がリョーマしか見えてないって知っててそんなこと言うんだ?」

 (…不二の野郎、余計なことをベラベラと言いやがって)
 内心では口汚く罵りながらも、悲しそうに眉を顰めて、佐伯は息が交わるほどに近く、顔を近づけた。
 すると即座に顔を火照らせながらも、尚も口惜しそうに睨んでくる大きな瞳が次の瞬間にはゆらゆらと不安に揺れた。
 極上の黒曜石に視線が奪われる。うっとりと眺めながら佐伯は甘く視線を絡ませて囁いた。

「リョーマ、俺にはリョーマだけだよ」



 好きなんだ。
 もう放したくない。

 秘めた想いを込めてキスの雨を降らす。
 いつだって心にブレーキをかけていた。のめり込む様な、相手を雁字搦めにする様な、そんな恋愛しか出来なかったから。
 でも、あの日、君を捕まえたあの日から、もう君しか考えられないんだ。

 きっともう離せない。
 例え君が泣いても、厭む眼差しでこの身を斬り裂いたとしても、
 もうこの手をはなすことなんてできそうにないんだ。


 例えば君が不安に瞳を揺らしても、其れが俺のことなら身体は歓喜を告げる。

 だから、もっと見せて?



「リョーマだけ、好きだよ」

 唇が触れ合うほどに近く、瞳を合わせて囁くと、揺れていた瞳が大きく開かれ、次の瞬間、ふわりと花が綻ぶ様に小さく笑う。
 その綺麗な微笑みが匂い立つ様に誘われて、吐息まで奪うように再び深く口付けた。

「……ん、…俺も……、き・・ッ」
「……ッ」
「ぁ…っ」

 口付けの合間に小さく呟かれる愛らしい声。
 滅多に意思表示をしてくれない恥しがりやの恋人がくれた愛の言葉に、たまらないとでも言いたげに佐伯は口付けを更に深くしながら華奢な身体を押し倒す。
 甘い熱で次第に何も考えられなくなるリョーマの耳元でピースがパラパラと零れ落ちる音が聞こえた。


(…ぁ、パズルが……ッ)

 腰に回されていた佐伯の手がいつのまにか違う動きを見せながら、悪戯にシャツの下に潜り込んでいたのに、ようやく気づいたリョーマが慌てて佐伯を押し退けようとすると、平らな腹部をそっとなぞられてしまい、粟立つ肌に、必死で声を噛み殺す。
 恥しくてたまらないのに、甘い熱が身体を縛って、動けない。
 ただ身を竦め、声が出ないように唇を噛み締めながら、恥しさに耐えながらも、止めてくれるよう佐伯に視線を合わせ懇願するが、佐伯は甘く微笑むだけで蠢く手は止まない。
 せっかく完成しそうだったパズルがこのままだと水の泡になってしまうことなど分かっているのに。
 それでも、熱に浮かされた思考が上手く働かず、指の先すら動かせなかった。
 触れられた箇所から生まれる甘い痺れが足の先まで伝わって身体が熱くなる。

「ぁあ…っ」

 抵抗を示す言葉を発しようとした唇からは、高い声が上がって。
 霞む視界の中で、佐伯の指先だけがリアルだった。
 曖昧な世界の中で研ぎ澄まされる感覚が違和感を覚えさせる。
 噎せ返る甘い香りに包まれては浮かび上がる光に眩暈がする。


(…あぁ…もうダメだ…)


 諦めて瞳を閉じると、リョーマは馨るフレグランスに身を任せた。




 *
 *
 *
 *
 *
 *
 *




「もう…っ!こじろーのせいでまた1からやり直しじゃんか!!」


 床に散らばったピースを拾い集めながらリョーマが背後のベットに寝そべったままの佐伯に怒鳴る。
 白いシャツ一枚だけを身に纏った裾からすんなりと伸びた両肢に見惚れていた佐伯はぴりぴりと気を発する華奢な背中に苦笑した。

「ごめんって。また後で一緒にやろう?」

 そう言うと爽やかに笑う佐伯をリョーマは振り返ってむぅっと睨む。
 きゅっと吊り上がった瞳に睨まれているというのに当の本人は至って嬉しそうににこりと笑うだけで反省の色は欠片も見えなかった。
 無性に腹が立ってぎりぎりと音も出そうなほどに強く見据える。

(っ、だいたいこじろーがそんな顔して笑うのが悪い!!)

「で?なんで不二にそんなこと言われたの?」
「は?」

 的外れな怒りを心の中でぶつけていると、突然の質問にリョーマはきょとんと目を瞬かせてから、あー…、と慌てて記憶の狭間を辿り始めた。

「…ぇっと……たしか、香りがするねって言われて……」

 う〜ん、と頭を捻るさまを佐伯はベッドに頬杖をついて眺める。
 さっきまで怒っていた筈なのに、すっかり忘れて必死に思い出そうとしているリョーマは酷く愛らしくて散々貪り尽くした後だというのにまた欲が出てきてそんな自分に苦笑するしかない。
 それを抑え、気になった言葉を口中で反芻した。

 (『香りがする』ね。…不二のヤツ、気づいたか?)

「リョーマ。それって俺の家に泊まった次の日?」
「…そう、そうだった!朝錬サボって部長に怒られてたら不二センパイがなんでか突然話し掛けてきて助かったんだっけ」
「それで綺麗になったねって言われた?」
「うん」

 佐伯が付ける香水の種類は昔から変わっていない。其れを不二は知っている。

 (あいつ、完璧気づいたな)

 どうして分かったのか不思議そうな顔でじっと見つめるリョーマに、佐伯は爽やかに笑いかけながら立ち上がると後ろから小さな身体を抱え込んだ。
 指の隙間から零れる柔らかい黒髪の手触りを楽しみながらリョーマからは見えないところで佐伯は昏く微笑む。

 (…絶対に渡さない)

 其れが不二でなくとも、だ。

 恋愛感情ではないにしろ、青学には要注意人物が山といる。
 蜜月は十分に堪能したし、秘密のデートも楽しんだ。そろそろ宣戦布告をするには丁度良い頃合い。
 何しろこの小さな恋人は知らぬ間に沢山の魅力を振り撒いては男を陥落させるイキモノなのだから。



 佐伯は更なる決意を胸に秘めて静かに宣戦布告をする。
 が、とりあえず今は恋人との蜜な時間を楽しもうと、小さな肢体をきつく抱き込み甘い香りで包み込んだ。




2005/03/03






inserted by FC2 system