*** えきれないせがりそそぎますように。 ***



朝から怪しかった天候は今や、下り坂なのは誰の目にも明らかだった。
空はまだ夕方だというのに真っ黒で、吹き付ける風も凍えるように冷たい。
リョーマは手袋をはめていない手に息を吹きかけて暖をとろうとしたが、口から吐き出される空気の白さにますます寒さを実感されるばかりであまり効果はなかった。
早々に諦めると足早にいつもより人通りの多い商店街を通り抜ける。

今日がクリスマスイブであるためか、やたらと手を繋ぐ恋人同士が目に付いてしまい、リョーマは知らず、見かけに反してやたらとロマンチストな友人を思い浮かべて小さく笑いをこぼした。

其れは大分前、冬が訪れ始めた頃のことだったろうか。
何かにつけて触れたがる彼は当然のように手を繋ぐことを要求してきて、けれど当然のようにリョーマがぴしゃりと其れを撥ね退けて。
それでも、いつもの笑顔で、寒いからええやんか、と無理矢理に左手を繋がれてしまったことを思い出してしまったのだ。
鼻歌交じりで上機嫌な彼の横顔に其の手を振りほどくことなんて出来ないままに、恥しさを隠す様に怒った振りをしてしまったが、本当は繋がれた手から伝わる温もりが酷く嬉しかった。
赤い顔で睨みながら、でも、リョーマからぎゅっと握り返してくる手の強さに気づいた忍足は酷く嬉しそうに「やっぱあったかいわ。ありがとさん」と笑った。


其のくしゃりとした笑顔が好きだと、ふいに思った。



ひょんなことから彼と親しくなって、なし崩し的な展開で彼と会い続けるようになったけれど、今だ友達のラインから抜け出せてはいない。
触れ合う指先や、絡まる視線、何か言いたげな唇から彼の気持ちは何となく分かっていた。

たぶん、自分と同じ気持ち。


けれど、馴れ合った友達という心地いい距離感から、其の先へ踏み込む勇気は自分にはまだなくて。
このぬるま湯のような関係から一歩先のものへと進んでしまったら、もう後へは引き返せない。そんな不安が足を止める。
彼の周りにいる綺麗な女友達への小さなもやもやも、もしかしたら明確な嫉妬へと変貌してしまうかもしれない。
そんな自分は想像できなかったし、したくもなかった。

不安と、それからくだらない意地やプライドなんかもあって、自分から言い出すことなんて出来なかった。
けれど、其れでもふとした瞬間、彼を好きだと思う気持ちに押し潰されそうになって困ってしまう。

例えば、大人びた容貌に似合った客観的で理知的な表情を見せたと思ったら。
次の瞬間には子どものような表情で夢みたいなことを言ったり。
頬に当てられる骨ばった大きな手とか。
抱きしめられたときに香るノートや、指に絡まる長くて細い髪の毛の感触、笑ったときに目元に寄る皺。


彼を構成する全てが好きだと思った。
全てを自分のものにしたいと思った。
決して、口になんかしたことはなかったけれど。


でも、今日くらいは、素直になれるかもしれない。



胸を押し潰す想いを吐き出すように、息を吐くと、白い霧へと変わるのが見えた。
空を見上げると、いつのまにか真っ黒な雲からは白い固まりがちらほらと吐き出されていた。











「リョーマ!」



突然、前からかけられた甘い声音に顔を上げると、想い浮かべていた彼が目の前に笑みを含んだ表情で立っていて、リョーマは驚きに目を見張る。
其の零れ落ちそうに開かれた大きな瞳に忍足はますます笑みを強くして近づくと傘を差し出した。

「傘、持って家出なかったん?朝に天気のねぇさんが今日は全国的に雪が降るでしょう、言うとったやろ」
「…寝坊して見てない。じゃなくて。なんでこんなとこにいんの」
「どうせそんなことやろうと思った。お出迎えや。それに、はよ会いたかったからな」


突然姿を現した忍足に、酷くぶっきらぼうな口調になってしまったリョーマに頓着することも無く、忍足は当然のようにするりと手を絡めて先導するように歩きだす。

「つめたっ。こない寒いのに手袋はめんからやで」
「侑士こそ」
「あー俺はええねん。リョーマのかわええお手々で暖めてもらうて決めとるからな」
「…バカ?」


そないはっきり言うなんてひどいわ、とけらけら笑う忍足に呆れるように溜め息をつくと、頭の上で小さく何かが光っているのに気づいて小首を傾げる。
そして、何とはなしに見上げて目に飛び込んだ光景に小さく息を呑んだ。


初めて見たときは真っ黒な傘だとばかり思っていたが、所々斑点のように黄色く発光している箇所があって其れが頭上一面に広がっていた。
其の小さな黄色の粒が暫くすると漆黒に溶けるように消えて、次に新しい黄色が違うところにじわりと広がっていく。


夜空に浮かぶ流れ星のように現れては消える、その幻想的な光景に驚いていると、其の様子をじっと見ていた忍足が凄いやろ、1点物なんやでと嬉しそうに傘を揺らして笑った。

「実家の方で面白い傘を造る店がある聞いてな。訪ねてみたらどんな傘でも造れるみたいな大きいこと言いよるから、コレをお願いしてみたんや」

そう言って、また、綺麗やろと嬉しそうに笑った忍足に、リョーマは黙ってこくりと頷く。
きらきらと光の色を変える其の傘から、目が放せなかった。
仕組みはよく分からないが、空から舞い降ちてくる雪が傘に触れる度、漆黒の闇に新しい光が広がっていく。
言葉も無く頭上に広がる光景をただ見つめるリョーマを満足そうに忍足は暫く見守ってから、そっと傘を突き出すようにしてリョーマのほうへ傾けた。


「誕生日おめでとう」


静かに発せられた声に、窺うようにリョーマは忍足を見上げた。
さっきまで子どもみたいに自慢げに傘を話していた彼とは違った真面目な表情に戸惑って瞳を揺らす。
其の真剣な眼差しに呑まれそうになりながらも、小さな声でありがとうと何とか答えると、忍足は少し口元を弛めた。


「…なぁ、覚えとる?えらい前の話なんやけど。映画を一緒に観に行ったん、覚えとるかな。フランスの古い映画」


唐突な言葉を怪訝に思いながらも、リョーマはこくりと頷く。


覚えてるもなにもあの時のことは忘れられそうにもなかったから。
アクション系の動きの派手な映画を好むリョーマと、ラブロマンス系の映画を観たがる忍足とでは好みが合わなくて一緒に映画館に足を運ぶことなど滅多になかったが、其れでも数えるくらいには一緒に行ったことはあった。
其の数回の中でも、一番思い出深い映画。

あのときのことはよく覚えている。


割と前のことになるが、どうしても一緒に観たいと言って忍足に無理矢理映画館へ連れられていったことがあった。
町のほんの片隅の映画館でやっていた古いリバイバル映画。
普段はどんなに忍足に誘われても、そんな叙情溢れるような内容の映画を観ても眠くなるだけだから、と冷たくあしらっていたのだが、其の時はどんなに断ってもどうしてもめげずに誘い続ける忍足に辟易して付き合ったのだった。

どうしてそんなに観たがったのか聞くと、忍足は恥しそうに笑いながら、小さいときに観て、どうしても忘れられない場面があるのだ、と静かな声で答えた。
クライマックスで、雨の中、ずぶ濡れになりながらも涙を流し続けるヒロインに男がそっと傘を差し出す場面をどうしてももう一度観たかったのだ、と。
小さい声で、でも酷く真剣に語った忍足の眼差しが気になって、リョーマにしては珍しく一度も寝ることもないまま其の映画を観てしまったのだった。


『…君の心に、どんなに激しい雨が降っても、僕が必ず青空にかえてみせるから。だからこの手を取ってください』

『…貴方の瞳みたいに、とても綺麗な色ね』

そう綺麗に微笑んでヒロインは男の手から青色の傘を受け取る。
大掛かりな効果も場面もほとんど無い酷くシンプルな映画だったけれど、どこか深く心に残るストーリー。
身分の違うヒロインを思い続ける主人公は風貌も何もかもが冴えなかったけれど、でも其の青い瞳が子どもみたいで綺麗だった。


大人になって本当に好きな人ができたら同じように告白したかった、と少し恥しそうに笑った忍足に、其の相手に嫉妬とも羨望とも呼べる想いが交じって少しだけ眩暈がしたのを憶えている。

出会って2ヶ月経ったか経っていないか、くらいの頃のこと。
其れまでは忍足をただの友人だと思っていたのに。
けれど、其のときリョーマは忍足への確かな想いをはっきりと自覚してしまった。
そして、少しだけ泣きたくなったのだった。

だから、憶えている。



「…君の心に、どんなに激しい雨が降っても、」


忘れられそうもない其の時のことをそっと思い出していたリョーマの耳に、静けさを裂くような忍足の声が響いた。
映画の中で傘を差し出した男が言った台詞に息を詰める。
見上げると、夜の闇を纏った瞳が硝子の奥で輝くのが見えた。


「…例えば、今日みたいに凍えるような冷たい雪が君の心を噴きつけても」


少しだけ悪戯そうに忍足は微笑む。
映画には無かった台詞に、其れが忍足なりのアレンジだと気づいたリョーマも、ようやく口元を弛めて小さく笑うことができた。
今、差し出されるのも、青色の傘ではなく、綺麗な瞬きを含んだ闇の色。
雪が落ちたところから蛍光色に発光してはじわりと黒に溶けていく。


「必ず俺がそれを星空にかえるから。…だからこの手を取ってください。君が好きです」


震える吐息を吐くように囁いて、忍足は子どものような瞳を細めた。
大人びた容貌の中で煌めく悪戯めいた其の輝きがやっぱり好きだと思った。

「…貴方の瞳みたいに綺麗な色」

ヒロインの台詞に似せて、小さく言葉を呟くと、酷く嬉しそうに目元が歪められた。
其れにつられてリョーマも思わず微笑みを浮かべ、そっと白い手を伸ばし、きつく柄を握っている忍足の手に上から重ねるように触れると、ハッとした様に目を瞠る。
そして、真剣な表情で見下ろす忍足に泣き笑いの表情でくしゃりと顔を歪めると、小さく呟いた。

「オレも、貴方のことが好きです」


忍足の手を包み込むように強く握りしめると、綺麗に笑った。


















「受け取ってもらえてほんま良かったわー。まぁ、断られるわけなんてないっちゅーことは分かっとったけどな」


友人にしては酷く曖昧な距離感が恋人という確かな関係にようやく落ち着いた帰り道で、忍足は酷く上機嫌な面持ちをしながら頭上で星を増やし続けている傘をくるくると回した。
プレゼントとして、それから告白の返事として、リョーマは其の傘を受け取ったけれど、身長差からまだ忍足に掲げさせたまま。
そんな鼻歌でも歌いだしそうな忍足に、よっく言うよ、と、リョーマは鼻を鳴らして笑ってやった。


――手、震えてたくせに。


傘を受け取ろうと忍足の手に触れたとき、見た目では分からなかったけれど細かく刻むように震えていたのに気づいてしまった。
リョーマの気持ちはたぶん忍足もそれとなく気づいていたはず。
其れでも不安だったのだろう。

そんな忍足の気持ちを知って、またいっそう彼のことを愛しく思ったのだけれど、今のあまりな言い草を聞いた途端、教えてやろうという気は綺麗に消え失せてしまった。
酷く幸せそうな忍足の横顔からふんとそっぽを向くように傘の外に目をやると、音もなく降り積もった雪が静かな町並みを白く覆っていて酷く綺麗だった。
其れに少し機嫌を直して、まぁいつか気が向いたら言ってあげるかもね、くらいの気持ちで繋いだ手を大きく振って急かす様にリョーマは忍足の前を歩き出したが、いつか、がきっと近い未来であるという確かな予感があって何だか溜め息を付きたくなった。
何しろ自分には負い目があるのだから。

――結局、告白も先越されちゃったわけだし。


悔しさと共に、次こそは、と息込んだリョーマに引きずられるように後ろからのんびりとした忍足の足音が付いてくる。




「あ、クリスマスの贈りもんはちゃんと別にあるから安心したってな。愛情こもった俺の手料理と愛の詰まった俺自身や」
「…侑士って、ほんっとバカだよね」





2004/12/24



王子、お誕生日オメデトウゴザイマス!!


精一杯の愛を込めて。

っていうか、確実に一番おめでたいのは私の脳内ですね。
そんな話に成り下がりましたが。
…ちょっと書き直したいような。このままでいいような。

とにもかくにも、生まれてきてくれてありがとうの気持ちと最大級の愛を贈りたいと思います。







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