「おちびって本当、猫みたいだよね」


それこそ猫みたいな先輩が呟いた





【 He's his cat. 】



 退屈な授業も終わり、待ち望んだ部活の合間の休憩時間に。
 ふいに菊丸から背後から掛けられた言葉を聞いて、リョーマは綺麗に眉を顰めながら振り向いた。

 「それは、エージ先輩のほうでしょ」

 大体足音しなかったじゃん、猫みたいに、と憮然としながら反論する。
 実のところは、突然背後から聞こえた声にびくり、と小さく身体が跳ねたことを誤魔化したかっただけなのだが。自分が驚いたのをこの先輩だけには知られたくない。
 けれど菊丸の楽しげな表情は、ささやかな期待を裏切るものだった。
 面白そうに此方を見つめる悪戯そうな目。
 …なんかカルピンみたい、と猫じゃらしに飛びつく寸前の愛猫の目を思い出す。
 それは酷く可愛らしい様子だったが、今、この目の前の先輩は、全然、ちっとも可愛くない。全くもって。

 「へへー、今おちびちゃん、ぴくっ!て、したでしょーっ?かーわいーい!」

 嬉しそうに叫ぶ菊丸に飛びついてこられ、がっしりした腕に抱きこまれてしまい、逃げ出すことも叶わなくなってしまう。中学生での学年の違いは大きく、其の体格差は仕方のないことだと分かってはいるが、それでもリョーマは非常に面白くなかった。

 「ちょ、っと苦しいっ!放してください!」
 「嫌ー、せっかく不二がいないってゆーのに。このチャンスを逃すわけないぢゃんっ!」

 いったい何のチャンスなんだか分からないし、その勝手な言い分には目眩を感じたが、放してくれる意思が無い以上、もうこの現状から逃れられる術は無い。大人しく助けを待とう、それか気の済むまで我慢しよう、とそう諦めてじっとする。静かになったリョーマを見て、菊丸は嬉しそうに破顔した。
 じたばたと暴れる姿も爪を立てる仔猫みたいで可愛らしかったのだが、今、腕の中で憮然としながらも大人しくする小さな後輩は何だか毛を逆立てる仔猫のようでとっても愛らしい。
 微かに身じろぎする度にふわりと香るシャンプーの匂いも、まだ華奢な身体も、酷く手触りの良い柔らかな肌も全部が惹きつけて止まないもの。このまま、ぎゅっと抱いていたかったが、如何せん敵が多すぎる。
 それは眉間に皺を寄せながら権限を行使する同輩だったり、穏やかな雰囲気でもって自分を諭す相方だったり、何だか自分の弱みも書かれているらしいノートを振りかざして阻む背の高い影だったり、敵はつきないのだ。

 けれど、一番最強、いや最恐にして最大の敵は、にっこりと虫も殺さないような顔をして、害虫に対するような目でもって此方を見る同級生だった。

 正直何をされるか分からないだけに奴が一番恐ろしい。
 腐れ縁から一応親友とも呼べる立場にいるのにもかかわらず、非常に非道な仕打ちを綺麗に笑いながら行う彼を思い出して、菊丸は恐怖にぶるりと身体を震わせながら腕を離した。

 「…エージ先輩、寒いんデスか?」

 ちらりと後ろを振り返るようにリョーマが問いかける。ことりと仰ぎ見るような動作に加えて、自然上目遣いで覗き込まれて、余りの可愛さに一瞬にしてその男への恐怖が何処かに飛んでしまった。

 「もうっ!おちびったら可愛いーーっ!」
 「ちょっ!苦しいっ!」

 思いに任せるようにがっちり腕に力を入れて再度抱きつかれたリョーマは苦しそうにうめく。
 その真黒な瞳には痛みからかうっすらと膜がはっており、その言葉が嘘ではないことを示していて、菊丸はハッとしたように力を弛めた。

 「ごめんっ!つい、ね?」
 「もう…っ、今が夏だったらイイカゲン足踏んづけてるとこッスよ!」

 許してくれたのか分かりかねる微妙な表情で睨まれて、夏場のへたっていたリョーマを菊丸は思い出した。どこかじとりと暑い日本の夏には辟易としていたようで、木陰でぐったりとする姿には何だか憐憫の情が湧いてくるほどだった。
 今が木枯らしが時おりびゅぅと吹き付け始めた初冬で本当に良かった。だからこの一年生はひっついてくるのを渋々ながらも感受しているに違いないのだから。子どものように高い体温を存分に肌に感じながらその幸せを甘受する。

 「そっかー、ちびちゃん暑いのに弱いもんねー」

 からからと菊丸が笑いながら返すと、思い出したのかうんざりしたようにリョーマが呟く。

 「もう本当イヤっす。…いっそのことシベリアとかに引っ越そうかな」

 本気で思っていかねない様子に菊丸は慌てる。一輪の咲いた花のように心を潤してくれるこの小さな存在が何処か遠くに、しかも日本ではない所へなんか行かれたら、それこそたまったものではない。
 …色んな意味で。

 「ちびちゃん、寒いのもダメでしょっ!?不二に聞いたんだからねっ」
 「…ちょっと!いったい、アノ男から何を聞いたんですか!?」

 常に無いほど必死な形相を浮かべるリョーマに、こう見えておちびも不二には苦労しているんだなー、可哀相に…、などとのんびり考えていたが、ちょっと!!聞いてるんスか!?と問い詰めてくるのに口を開く。

 「あ、うん。不二がね、朝、すっっごい嬉しそうに話してたんだけど」

 と、本当に嬉しそうに、クラスメートが嬉々として話していたのを思い出す。
 あんな喜色満面な不二はとっても珍しい。それはこの後輩に関することになると必ず見せる顔だけど。
 実は初めて見たときはちょっと気色悪い…とか何とか思ったのは絶対に口には出さないナイショごとだ。
 …それこそ何をされるか分かったものでは、ない。

 『リョーマくんったら、寒がって僕から離れようとしないんだよー。手を繋いでても足りないみたいでねー』

 昨日なんか腕まで組んでくれちゃって、ひっついて僕から離れないんだよー、そんなに僕のことが好きなのかな、ほんと困っちゃうよ…、などと巫山戯たことを、全くもって困っていない凄い笑顔でのたまった不二に、ささやかな抵抗として、…おちび寒いだけなんじゃん?と小さく呟いてみたものの、恋人を想うのに忙しい不二は聞いてはいなかったようでホッと胸を撫で下ろしたのは余りに情けない朝の出来事であった。


 「……アノ男は、本当に余計なことをべらべらと…!」
 「ねー、何かおちびって本当猫みたいだよねー」
 「…なんで手を繋ぐのが猫になるんスか?」
 「いや、そこじゃなくて。寒がりだってところ!暑いのにも弱いし」
 「それは猫に限った事じゃないデス」
 「おちび、魚、好きじゃん」
 「猫は肉食だからチガイマス」

 自分の考えを尽く否定するリョーマに、もーっ、と菊丸は憤慨する。

 「それだけじゃないもんね!不二が言ってたよ!!」

 この上、あの男はまだ何か言ったのか!?と目を剥くリョーマに、菊丸は自分の考えは正しかったと証明するように誇らしげに告げた。

 「おちびは寝るときは必ず猫みたいに丸まって寝るんだって。
 そんで、必ず不二にくっついてくるんだよー。離れてみても絶対不二に擦り寄って来るんだってさ」

 余りの内容に一瞬にしてリョーマの顔が真赤に染まった。
 自分がまさかそんな恥しいことをしていたとは夢にも思わなかったというのもあるが、菊丸の今の発言はつまりは不二とリョーマが一緒に寝るような、所謂ソウイッタ関係にあるということを露呈しているようなものだった。
 不二と恋人の関係にあることは、テニス部員だったら嫌でも知っていることだったが、そんな公然と自分達が身体の関係にあるということを暴露されてはたまったものではない。
 あの男はいったい何を考えているのか。頭を抱えそうになったリョーマに更に菊丸は言い募る。

 「でもね、おちびちゃん。俺がそう思ったのはそれだけじゃなくてね…」
 「……英二?君はいったい僕のリョーマに何をやっているのかなぁ…?」

 背後の真っ黒い気配を感じ、びくっと振り返ると、すぐ後ろには恐れていた男の姿。

 「ふ、ふじ。お早いお帰りで…っ」
 「うん、何だか物凄く嫌な予感がしてね…。急いで戻ってきて正解だったみたい」

 にこりと笑いながらも、次はないよ英二、と低く呟いて、リョーマを自分の腕の中へと攫う不二に菊丸は冷や汗が止まらない。

 「リョーマくんごめんね、遅くなっちゃって。大丈夫だった?盛りのついたケモノに変なことされてない?」
 「いや、大丈夫ですけど。……ソレ、何デスか?」

 不思議そうにリョーマが不二の手の中の物を覗き込む。

 「あ、そうそう。これ、冷めないうちに飲んでね。
 いくらファンタが好きでも、この寒さじゃ身体が冷えちゃうでしょ?」

 そう言ってハイと手渡されたものをリョーマは興味津々な眼差しで見つめた。
 手の中のマグカップは中の温度が移った所為か温かくて、冷えた身体には酷く嬉しいものだった。
 ほかほかと湯気を立てている中味は黒っぽくて所々に粒状の物が見えていて、一見すると食べ物のようだが見た目だけではいったい何なのか分からない。覗き込むように顔を近づけて、くんと匂いを嗅ぐと何だかほわりと甘い香りが漂った。

 どうやら食べられる物だと認識したようだが、それでも中々口をつけようとしないリョーマは、未知の物に戸惑う動物のようで非常に愛らしく自然と不二の頬も緩む。
 こんな顔が見られるなんて思わぬ収穫だ、と幸せに浸る不二を邪魔する声が後ろから響く。

 「あーっ!お汁粉じゃん。不二、何処から持ってきたんだよ?」
 「…おしるこ…?」

 何ソレ?と視線で問いかけてくるリョーマに、不二は甘く微笑むと、小豆で作られた日本の飲み物だよ、と優しく説明をする。当然のように菊丸の質問は無視。
 よく分からなかったのか、ふーん、とリョーマは呟き、けれど、大好きな和菓子みたいなものだと更に教えられて、恐る恐る口をつけると、上品で柔らかい味が口の中に広がった。
 案外おいしいかも…温かいし、と嬉しそうにカップを傾ける姿にいよいよ不二は破顔する。両手でカップを支える姿も一層愛らしさを引き立てる動作に他ならなくて不二はますます見惚れている。

 もうカワイイ恋人に夢中で他のものは一切見えていない不二の姿に、こりゃダメだと菊丸は早々に諦め、お汁粉の出所を推測し始めた。
 …お汁粉なんて校内の自販機には置いてないし、大体マグカップに入れられていたということは何処かで作ったということだ……ん?マグカップ?
 ふいにあれと同じようなカップをどこかで見たことを思い出す。何の変哲も無いただの白いマグカップだが、縁に赤い線の入った其れで自分はコーヒーを飲んだ記憶がある。確かそれは昨日のことで、場所は保健室だったような…。
 まだ若い養護の先生が、仕方ないわね、とサボリを黙認しながら出してくれたカップとそっくりだった。

 それじゃあ、不二はこの短い休憩時間中に校舎の一番端にある保健室まで行ってお汁粉を作って此処まで持ってきたってこと…?
 わざわざおちびのために。あの、不二が?
 横のものを縦にするのもやんわりと他人にやらせるように仕向け、自分の得にならないことには手を出そうともしない、あの不二が…?
 今までの不二からは考え付かない所業に、まさかという思いが脳裏を過ぎるが、それしか心当たりは無かった。

 見るといつのまに移動したのかベンチに腰かけながら両手でカップを傾けるリョーマに、すぐ隣に座った不二が何だかんだと甲斐甲斐しく世話を焼いている。
 …あぁ、間違いない、と不二の恐ろしいまでの恋人への尽くしぶりに先ほどの自分の考えが間違っていないことを菊丸は確信する。
 それと同時にリョーマに言いかけた言葉を思い出して一人でうんうんと頷く。



   おちびちゃん。
   …やっぱり、おちびは猫なんだよ。
   だって。
   不二はおちびのことを猫かわいがりしてるからね。



 本当に可愛くて仕方が無いらしい様子の不二は、べたべたとリョーマに引っ付いていた。
 ちょっと鬱陶しそうなリョーマの表情に、いい加減おちびの我慢の限界が切れる頃かなと思い、いっちょ助けてやるかーなんて足を向ける。
 本当は毛を逆立てる仔猫を間近で見たい気持ちのほうが強かったのだったけれども。


2005/01/17


去年の八月くらいに書いた話を発掘。
今しか出せるタイミングはない!!と慌てて出してみました、が。
…しかし、夏におしるこって…いったい何を考えていたんだ…(汗)

不二は王子の初めてを全て欲しがる男です(断言)
でも王子だっておしるこくらい食したことはあるだろうよ。




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