たとえ壱万の言葉を並べてみても この気持ちに当てはまるものはきっと見つからない |
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コートの中にも関わらず、ひどくぼんやりとしていることに気づく。 頭の中にまるで白い膜が張っている様で、まともに思考を紡ぐことが出来ない。 あぁ、こんな調子でやってたら。 あの、やたらと規律に煩い(アタリマエだけど)先輩に何を言われるかわからない、とは思うのだけれど。 ただ思ったところで、この膜が消えるはずもなく。 惰性のままにラケットを振っていると流石に見かねたらしく、眉間にしわを寄せて両腕を組んだままの姿から、 「越前!こっちに来い」 と声がとんできた。 …グラウンド何周走らされるんだろう。コートに立ってるのにボーっとしてたんだから、20周くらい? でも。 走って。 なんにも考えずに走って。 それで、このボンヤリがとれるんなら、それはそれでいい。 なんて、バカみたいなことを思いながら、振りかぶっていたラケットを下ろし、コート脇に姿勢よく立っているその人に、ゆっくりと歩いていく。 「・・・ナンノ用デスか?部長」 わかりきっていることを聞く、と自分で思いながら、身長差のため見上げざるをえない格好で問いかける。 すると当然怒っていると思われた手塚の、普段は絶対見られないであろう困ったような微妙な表情が目にとびこんできた。 その顔に驚く間もなく、自分の額にそっと手を当てられて、今度こそ目を見開いてしまった。 「ブ、ブチョウ・・・?」 思わず焦るリョーマに頓着することもなく、 「・・・熱はないようだな」 「…?」 え?え??と目を白黒させるリョーマの形の良い額に当てていた手を、そっと小さな頭に乗せると優しく髪を撫でた。 その温もりが心地よくて思わず目を細めてしまう。 「・・・どうした?体の具合でも悪いのか?」 練習に全く身が入っていない、と続けられ、俯いてシューズの爪先についた泥を見つめる。 どうしたか、なんて。 そんなのは自分でも分かっているんだけど。 理由、なんて考えたくもなかった。 昨日、喧嘩した。 あの男との口喧嘩なんて、もう、しょっちゅうあることで。 そのたびに何度、コイツ殺してやろうか、なんて思うことも、しょっちゅうあることで。 でも。 昨日のは、ほんの少しだけ様子が違った。 あの帝王然とした男が望んでいることなんて、もうイヤになるほど分かりきっていた。 だいぶ、焦れてきていたことにも。 ・・・絶対顔には出さないのだけれど。 たぶん。きっと。不安、にもなっているんだろう、ってことにも。 気づいてはいたのだけれど。 でも。 言葉になんて出来なくて。 ぴったりくる言葉なんか見つからなくて。 だって。なんて言ったらいい? いったいどの言葉を。 この、苦しくて苦しくて厭んなるくらい苦しくて。 顔を見たら。絶対、もっと苦しくなるのなんて分かりきっているのに。 それでも。 逢いたくて逢いたくて、たまんないこの気持ちを。 ねぇ。 なんて言ったらイイっていうの? どんな言葉を口にしたらアンタは満足するっていうの? ぐるぐるぐるぐると廻る頭がもう厭で嫌でイヤで。 「・・・死んじまえ、バカ!!」 と。 心にもない暴言を吐いて、走って、その場から逃げてしまったのは、まだ記憶にも新しい昨夜の話。 あのあと、家に帰ってから、ベッドの上に蹲って、無機質に光る携帯を眺めて、 何度も何度もボタンを押そうとしては止めて。 気づいたら、朝だった。 当然のように、手の中の其れは黙ったまんまで。 チャクシン、メールトモアリマセン。 「・・・いくじなし」 相手に当たるなんて見当違いも甚だしいのだけど。 そうでもしなければ瞼に水が浮かんできてしまいそうで小さく身体を丸めて、 ぎゅっ、と金属特有の冷たい其れを両手で握りしめた。 そんな調子を引き摺ったまま部活に出て来た訳で、そして今の状態。 黙り込んでしまったリョーマに手塚は小さく息を吐いた。 「…越前。素直になってみたらどうだ」 小さく呟かれた、その言葉に驚いてバッと顔を上げる。 なんでわかんの?と、驚愕を含んだ視線を向けると、その先に手塚の優しい眼差しを見つける。 手塚はふっと笑うとまたいつもの無表情な顔に戻って、まぁ、いつも見ているしな、と呟く。 いつも見てる・・・?え・・・? 完全に混乱してしまったリョーマに気づかない振りをして手塚は言葉を続ける。 「お前の調子が出ないときは、あいつと上手くいっていないときだということは、俺でなくとも知っているはずだ」 手塚が周りを見渡すのに気づき、視線の先にに目を向けると、なぜか手塚には鋭い視線を向けつつも心配そうに遠くからリョーマの様子を見つめるレギュラー陣の姿を見つける。 あぁ、アノ人たちにはバレバレだ、なんて内心肩を落としつつも。 部長の、それから先輩たちみんなの優しさにじんわりくる。 「・・・心配してしてくれて、ドウモアリガトウゴザイマス」 ブスッとしながらも、気持ちを素直に言葉に出してみる。 どうしてだろう。 他の人へなら素直に気持ちを伝えることもできるのに。 あの男へだけは、素直に言葉に表すことができないなんて。 手塚へ問い掛けるように、けれど本当は自分自身に呟く。 「でも。・・・どうしても。素直に、なれない・・・」 違う。 ぴったりくる言葉が見つからないんだ。 たぶん、あの男に対する、この気持ちは世間一般でいう、あの言葉に当てはまるんだろうけど。 でも。そんな簡単な言葉なんかじゃあ、きっとなくて。 きっと、もっと強い気持ちで。 だから、そんな一言でなんか終わらせたくなくて。 だから。 意地を張ってしまう。 手塚の顔を見つめたまま黙り込んでしまったリョーマの髪を、宥める様にして撫でる。 「思ったようにやればいい。お前は前に向かって走る姿が一番似合う」 ・・・オレの思ったとおり・・・? 急に迷いがとれたような、胸のつっかえが取れたような、 そんな感じがした。 どんなにイラついても、ムカついても、ケンカしても。 顔なんか見たくないと思っても。 ・・・不安になっても。 逢いたいと思ってしまう。どうしても。 どうしても声が聴きたい、抱きしめられたい触れられたい、・・・触れたい と思ってしまう。 それなら・・・。 と、急に横から手が伸びてきて、髪を撫でていた部長の手を掴んだのが見えた。 え?と思って、そっちを見ると昨夜ケンカ別れしたはずのコイビトが息を切らして立っていた。 「・・・っ、手塚!!・・・。ヒトのもんに気安く触ってんじゃねぇよ・・・!」 そう言って射殺しそうな鋭い眼で睨みながら、ギリと手塚の腕を掴むのは、間違いもなくコイビトのもの。 「オマエも!!気安く触らせてんじゃねぇよ・・・っっ!?」 「っ景吾!!!」 名前を呼んで愛しいその姿にぎゅうっと抱きつく。 人前で自分から抱きついたことなんて一度もしたことのないリョーマに、驚いたように息を呑む跡部の姿が瞳に映る。 「っ、・・・どうした?」 壊れ物に触れる様に優しく、でもしっかりと抱き締めかえしてくれる跡部がかけた言葉を無視して思いっきり背伸びをすると、走ってここまで来たのか少し熱をもっているその頬に唇をおとした。 「・・・っっ!?」 当然、リョーマから頬といえども、公然とキスをするのは初めてのことで。 その、憎らしいまでに端整な跡部の顔に、さっ、と朱が交じる。 そんなのお構いなしに、左の頬に、右に、次々とキスをおくる。 ありったけの想いをこめて。 「・・・本当にどうしたんだ、オマエ・・・」 いつもは人前で手を繋ぐのだって嫌がるくせに、と跡部が呆然と呟く。 「イヤだった?」 にやり、といつもの生意気そうな顔で笑って聞くと。 いつもの不敵な笑みを浮かべる顔に戻って。 「そんなもん嬉しいに決まってるじゃねぇかよ」 と跡部は何故だか偉そうに言ってのけた。 その姿に何故だか嬉しくなって。胸の奥がきゅうっとなって。 また一つ、その左頬にキスをおくる。 そして、にっこりと笑って告げる。 「これが、昨日の答え。アンタに一万回のキスをおくりたくて、たまんないくらい、の気持ちなんだ、きっと」 にっこりと綺麗に微笑んだリョーマを、跡部は目を開いて見つめると急にその顔を隠すように肩にうずめるようにして息が苦しくなるくらい強く、ぎゅっと抱き締めてくる。 「・・・けーご?」 「・・・オマエがらしくねぇことするからだろ」 無理やりに、嫌がって見せまいとするその顔を覗き込むと非常に珍しいことに、照れたように顔を赤らめる跡部の姿が見られた。 その姿に。また、胸がきゅっとなって。 この、胸の奥に積もっていくたまらない気持ちを伝えたくて。 赤くなった頬に、また一つ二つとキスをおとした。 そして目と目を合わせて微笑いながら伝える。 「たとえ一生かかっても。一万回、アンタにキスをアゲルよ」 まるで熱烈なプロポーズ。 不器用で拙いけれど其れはきちんと跡部に伝わったようで。 泣きたいのか笑いたいのか、分からないような微妙な顔をしながら 「・・・しかたねぇから一生かけて貰ってやるよ」 とムカツク言葉を言ってのけながら額に優しくキスを返してくれた。 「・・・全く。スナオじゃないんだから。嬉しいって正直に言ったら?」 「アーン!?誰がそんなこと言うか!」 血相変えて怒鳴るように言う跡部を、肩をすくめながらからかい半分嬉しさ半分で適当にあしらっていたら 隣から疲れたような重苦しい言葉が落ちてきた。 「・・・無事に仲直りするのはいいのだが」 やるならコートの外でやってくれ、といつもより眉間のしわの数を増やしながら溜め息をつくように手塚が声をかけるのが聞こえた。 「・・・っ!?」 周りからの視線に気づいて顔を赤くするリョーマに構わず、跡部は抱き締める腕の力をさらに強くする。 「邪魔するんじゃねぇよ、手塚。相変わらず気のきかねぇ奴だな」 「景吾!部長にあんまりシツレイなこと言わないでよ!」 「・・・っ!オマエはいつも!手塚に対しての態度が違いすぎる!!」 嫉妬もあらわに声を荒げた跡部を無視してコートの外へと無理やり引き摺りながら、 「お騒がせしてスミマセンでした、お先に失礼します」 と顔はまだ赤いままで、手塚に小さく礼をして、その場から逃げ出した。 その後コートで、微笑みを浮かべながらも眼は全く笑っていない不二が、 「・・・手塚。君が近くにいながら、なんてことをしてくれたのかな。 僕の越前が跡部なんて甲斐性なしの最低男に攫われるという事態をみすみす見逃してくれるなんてね」 ふふ、と笑いながら、手塚に冷たい空気を送っていたということを。 あの後、跡部の家に否応無く連れ込まれて、もうイヤというほど告白へのお返しを一身に受けていたリョーマには、 当然知るよしもなかった話。 |
2004.04.27 |